長野誠
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長野 誠(ながの まこと、1973年生まれ)は、TBS『SASUKE』のSASUKEオールスターズの1人。漁師。「第28金比羅丸」船長。SASUKE2人目の完全制覇者。宮崎県の延岡市に生まれる。身長162cm、体重61kgと割と小柄な体格である。
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[編集] 人物
1年の300日以上を海の上で過ごす漁師。山田勝己に憧れ、サスケ出場を決心。漁船の自室に、家族の写真と並べて山田勝己の写真を貼っている。また、山田同様失敗したエリアのセットを自宅に作って練習した。このことから、「第2の山田」とも呼ばれたことがある。長野のサスケ出場応募ビデオは、船の高いところで何もつけずに、逆立ち、腹筋をするという衝撃的な内容であった。長野は船上をサスケの練習場にしており、ファイナルや3rdステージのボディプロップ、クリフハンガーなどの練習もここで行っている。スポーツ経験は特になかったというが、『黄金筋肉』の番組内の企画で長野がトップアスリート並の身体能力を持っていることが判明された。
サスケ出場を続けているうちに、自身も大きく出世。第28金比羅丸船長となり、サスケの練習量も減っていくが、第17回大会に見事2人目の完全制覇を達成。当初はサスケ出場を家族が反対していて、もし完全制覇したらやめてほしいという話もあったそうである。しかし好成績を残していくうちに家族にも認められたらしく、現在も変わらず出場を続けている。
2006年11月14日に自身の公式HPを設立。株式会社 タカスイのHPから見ることができる。
[編集] SASUKEでの戦歴
初出場は第7回。そり立つ壁が登れずにタイムアップとなったが、放送では全カット。翌第8回には、そり立つ壁まで凄まじいスピードで進出。この時点で残り40秒以上を残す、過去最速のペースだったが、またしてもそり立つ壁が登れずにタイムアップとなってしまった(第9回前に、第7回でもたっぷり時間を残してそり立つ壁まで到達していたことが判明した。その他にも、山田勝己に憧れてサスケ出場を決めたことも判明。しかし皮肉にも山田は第8回に引退。翌第9回には引退撤回する)。そして長野のポテンシャルは、第9回に開花することとなる。第8回終了後、自宅にそり立つ壁のセットを作り猛練習に励む。それはまさに、山田勝己の姿と重なるものがあった。「第2の山田」と呼ばれ、そして迎えた第9回。過去2大会のように、非常に速いペースでそり立つ壁まで到達。一発クリアで22秒8残しというタイムを残す(1stがリニューアルした、第5回以降の20秒残し以上は史上初)。3rdステージまで進出し、なんとパイプスライダーまで到達してしまう。最後の着地で惜しくもリタイアしてしまうものの、その印象を強烈にアピールした。この大会の3rdはリニューアルが行われており、その中での最優秀成績者となった。
第10回には正式にオールスターズの仲間入りとなり、ゼッケンも999番(正式には99番)と、大きな躍進となった。しかしその大会では、まさかの1stジャンプハングリタイアとなってしまう(詳しくは「SASUKEオールスターズ 最悪の連鎖反応」参照)。第11回大会は危なげなく3rdステージまで進出。第9回で失敗しているパイプスライダーの着地も、まさに完璧と言える形で成功。初のFinal進出を果たす。スパイダークライムから綱までの移行で少し手間取ってしまったことが原因で、惜しくもタイムアップ。第12回では、ほぼ山田の指定席だったゼッケン100番の座を遂に奪う。完全制覇に最も近い男という称号を、まさに山田から受け継ぐ形となった。今大会は1stを15、8秒、2ndを14、6秒残し、いずれも最速タイムというゼッケン100番の名に恥じない、圧巻のパフォーマンスで再びファイナルへ。しかし、ボタンを押したものの、わずか0秒11の差で完全制覇を逃してしまう。この時に初めてファイナルの頂上へ登ったが、上から景色を見下ろすことはなかった。長野は「またいつか来た時に(完全制覇した時に見たい)」と語った。第13回は1stを29、03秒、2ndを18、7秒と、いずれも最速タイムで3回目のファイナル進出。3大会連続ファイナル進出という記録は、大森晃(第1回~第3回)と並んで歴代1位タイ。しかしまたしても完全制覇の夢は散ってしまった。
第14回では、1stを自身最高タイムの30秒残しでクリア。そして3rdへも進出したが、今大会で3rdステージは大幅なリニューアルが施され、挑戦者達を大いに苦しめていた。長野も新設されたジャンピングバーの餌食となり、久々の3rd脱落となってしまう。第15回では、1stを23、5秒の最速タイムで通過するも、前回クリアした2ndメタルスピンでまさかの脱落。オールスターズも驚きを隠せない結果となった。第16回は、リタイアした2ndメタルスピンも無事にクリアし、3rdのジャンピングバーもクリア。しかし、その後のデビルブランコでバーが後ろの休憩所(座って休める場所)に絡まってしまい、更にパイプスライダーのバーも掴み損ねて、手の届かないほど前へ。無念の脱落となり、3大会連続でファイナルから遠ざかってしまう。この頃の長野はゼッケン100番ばかりだったため、いつも最後の1人での挑戦であった。そのため、「落ちていった仲間達の分まで頑張る」という言葉を毎回のように繰り返していた。
白鳥文平宅で練習をして迎えた第17回。今まで自身の指定席だった、ゼッケン100番を山田に返上させ、99番での挑戦となる。今大会は挑戦前非常に緊張した様子であったが、無事に3rdまで進出。若手である、トランポリンの長崎峻侑が、先にファイナル進出を決めたのを見届けての挑戦となった。前回リタイアしたデビルブランコも落ち着いて対処し、パイプスライダーも無事成功した。そして迎えたファイナルステージ。過去3大会以上の速さで、仲間達の思いを乗せて、見事完全制覇を成し遂げた(2秒56残し)。長野は直後のインタビューで、頂上には何があったかと聞かれ、「ここには何もない」と答えた。そして、涙を流しながら「オールスターズとサスケをすることが、凄く楽しくて、それだけで頑張ってます」と続けた。いかに長野が仲間達との繋がりを尊重し、それを力に変えていたかが分かるコメントであった。山田勝己とは対照的に、サスケを仲間達と楽しみながら挑んでいたことが、この好結果に繋がったのかもしれない。
第18回は、ゼッケン争奪マラソンで99番~90番あたりのゼッケンを取りたいと発言。宣言通り90番以上で唯一残っていた96番を取った。今大会は長野への挑戦状と言わんばかりの大リニューアルが施されており、長野の挑戦前まで3人しか1stをクリアしていない状況であった。しかし長野はその1stを余裕のパフォーマンスでねじ伏せていく。バンジーブリッジをただ一人二足歩行でクリアしてみせ、残りタイムも最速の23秒残しであった。2ndは、長野の前の3人がいずれも新エリアのサーモンラダーで脱落。
クリア不可能なのでは?という空気さえ漂い始めたこのエリア。長野は最後の段差で片方の引っ掛けるところにバーが傾き、そのまま上にバーをあげて初の成功者となる(落ちていった3人は、いずれもバーがどちらかに傾いた時に、バーを下げていた)。そして3rd(詳しくは「長野誠クリフハンガーコースアウト事件」参照)。
山田勝己と共に3rdステージ進出するのが夢だったが、未だに果たせていない。第9回、11回、12回は山田が2ndで脱落。第10回は長野が1stで脱落したが、山田は3rdへ進出した。第14回以降は山田の1stリタイアが続いてしまっている。長野が初出場した第7回より前の山田は、1stクリア率100%だった。
[編集] SASUKEで出場した大会の結果
()の中はその時のゼッケン ★は今大会最優秀成績、もしくはファイナリスト
- 第7回大会 (87) 1st、そり立つ壁 (全カット)
- 第8回大会 (41) 1st、そり立つ壁
- 第9回大会 (61) 3rd、パイプスライダー ★
- 第10回大会 (999) 1st、ジャンプハング
- 第11回大会 (96) Final、10m綱登り ★
- 第12回大会 (100) Final、10m綱登り ★
- 第13回大会 (100) Final、10m綱登り ★
- 第14回大会 (100) 3rd、ジャンピングバー
- 第15回大会 (100) 2nd、メタルスピン
- 第16回大会 (100) 3rd、デビルブランコ
- 第17回大会 (99) 完全制覇 ★
- 第18回大会 (96) 3rd、新クリフハンガー(ルール違反により失格) ★
[編集] 本大会以外での出来事
- フジテレビの海筋肉王にも、オールスターズと共に出場。ここでも持ち前の能力を存分に発揮し、ただ1人ファイナルステージへ到達した。惜しくも完全制覇はならず。しかし、次に出場した回ではなんと、1stの計算エリアで脱落という不覚をとってしまう。長野自身も「計算は苦手」ということを語っている。
- 実の姉がKUNOICHIに出場したことがある。第5回に初出場し、八艘跳でリタイア。第6回はスタートエリア関所道でリタイア。長野は姉の練習にも付き合った。
- 完全制覇後、長野の所属する、株式会社 タカスイが完全制覇記念の祝賀会を行った。この祝賀会を開いたのは、社長の高須清光氏。ホテルの宴会場を借りて行われた。会場には、長野の家族や姉の姿もあった。高須社長は、長野のサスケ挑戦の度に、緑山へ足を運んで応援をしていた。長野が1st、2ndで落ちた時は、会わせる顔がないというような感じで、何度もサスケをやめたいということを社長に話してたという。しかし、サスケは今しか出来ないということ、若いうちにしか出来ないということなどを言って励ましていた。社長はこの完全制覇を、非常に喜んでいたようである。
- 長野の完全制覇後、オールスターズにはそれぞれ心境の変化があった。秋山和彦、竹田敏浩がやめたいということを聞き、完全制覇したのに少し落ち込んでしまったという。常にみんなでサスケをクリアしていきたいという考えを持っていた長野には、相反する答えだったのだ。山本進悟、白鳥文平は対照的に、火を点けられ次回大会に向けて燃えていたようである。あまりみんなでクリアしようという考えを好まなかった山田勝己は、「今回長野にみんなでクリアするということを教えられた」と語っている。長野は第18回大会がリニューアルすることに「サスケの進化は楽しみ。逆に俺を落としてくれというような気持ちもある」というようなことも語っていた。
- 2006年12月13日。お台場のマッスルパーク報道イベントに参加。その中には山田勝己、秋山和彦の顔もあった。長野はマッスルパークの各アトラクションでトップスコアも残す(苦手と言っていた頭脳系エリアの結果も悪くなかったという)。16日一般公開の日には、開園記念ゲストとして再び招かれ、子供達の前でサスケ3rdステージのセットに挑戦した。