関東州
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関東州(かんとうしゅう)は、1905年日露戦争を終結させたポーツマス条約に基づいて日本がロシアから遼東半島先端部と南満州鉄道付属地の租借権を引き継いだことにより成立した。現在の旅順・大連地域の日本による租借地の呼び名。
関東とは元来中国語で山海関の東、つまり当時の満州全体を指す言葉であり、日本の関東地方とは関係ない。関東州の行政を行うため関東都督府がロシア名ダルニーを改称した大連に設置され、関東州守備隊として関東軍も設置された。関東都督府と関東軍の管轄権は南満州鉄道付属地にまで及んだ。
関東都督府は第一次世界大戦後の1919年に関東庁、満州国成立後の1934年に関東州庁と改称している。満州国の成立により関東州の領有権は中華民国から満州国に移ったため、1932年の日満議定書で関東州は日本が満州国から租借する形となった。1937年には満鉄付属地の行政権を満州国に返還している。
大連はロシア時代から自由港であったため、関東州成立後も自由港として存続し、活発な貿易が行われた。大連で荷揚げした中国国内向きの貨物を再度関東州と中国との間で検査するのは非効率であるとして、大連には中国(後に満州国)の税関が設置されていた。しかし、実際には抜け道が多かったため密貿易の拠点のひとつになっていたといわれている。
また関東州は日本の通貨(日本の朝鮮半島における発券銀行である朝鮮銀行券、交換レートは同一)が流通していていた。
1945年日本の敗戦により中華民国に回収された。
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[編集] 名称の由来
関東とは万里の長城の東端に位置する山海関よりも東の意であり、本来なら満州(現在の中国東北部)全体を意味する地名であった。
[編集] 人口
昭和10年国勢調査より
- 総人口 1,134,074人
- 内訳
- 日本人(朝鮮人を含む) 168,185人
- 満州国人(在来の住民) 963,875人
- その他 2,014人
- 内訳