阪堺電気軌道121形電車
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モ121形電車(も121がたでんしゃ)は、阪堺電気軌道が過去に保有していた電車である。
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[編集] 概要
1967年に、木造車であったモ101形の淘汰のため元大阪市電1601形電車(1929年製造)を譲り受けて竣工した。
[編集] 車体
車体はモ161形と同じ半鋼製で、阪堺電気軌道が過去に所有していた在来車(モ151形・モ161形・モ301形)とほぼ同じ寸法(但し車体幅は僅かに広く、1966年7月に認可申請を提出していたにもかかわらず、認可が遅れ就役が翌年にずれ込む一因となった)の半鋼製車体で、旧番号は順に
- 121←1602←1612
- 122←1607
- 123←1608←1637
- 124←1611←1661
- 125←1612←1662
- 126←1614←1664
- 127←1615←1665
- 128←1620←1670
- 129←1633←1683
- 130←1639←1694
であった。
窓配置はD(1)4(1)D(1)7(D:客用扉、(1):戸袋窓)で、本来は中央が両開きの3扉車であったが大阪市時代に後端扉は閉鎖済みで、外板張り替えも施工済み、と良好なコンディションであったことから譲受されたものであった。
[編集] 主要機器
譲渡当時は、直接制御で2個モーター、それも大阪市交通局内での振り替え実施により本来のスペックより劣る、Brill 77E相当の国産台車とSS-50(端子電圧600V時定格出力37.5kW)搭載であったため、これらは高床式のモ205形の低床化に転用され、廃車となったモ101形のBrill 77E1とGE-247-I(端子電圧600V時定格出力30Kw)に交換された。
これに対し、主制御器は乗務員の負担軽減を目的として、間接非自動制御の三菱電機HL-44-6Aが新造された。
[編集] 運用
30年にわたり阪堺線の主力の一翼を担った。
2000年に最後の車両(モ130・最後はトラム 130として貸切専用に使用されていた)が廃車となって形式消滅した。
廃車後、一部の車両から601形に制御装置、ブレーキ、営業機器が再利用されており、また浜寺公園にてモ130が保存されている。