阪急500形電車
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500形電車(500形でんしゃ)は、かつて京阪神急行電鉄→阪急電鉄に在籍した小型の通勤形電車である。宝塚線用として1938年(昭和13年)から1942年(昭和17年)にかけて製造された。
[編集] 沿革
320形および380形の増備車として登場したが、車体については、当時神戸線用に製造されつつあった920系と同じく、広幅貫通路を持つ片運転台車として製造された。通常は2連を組むが、1両でも運転可能である。また、性能が異なる為、320形とは連結できなかった。さらに、神戸線で使用する場合を考慮して、客室扉には引き出し式のステップを用意していた。
3度に渡って増備されたが、最後に製造されたC#522~C#530については、1942年(昭和17年)の製造の為、資材節約の為屋根が木製となり、またC#530の相手となる車両は製造されなかった為、550形のC#564や300形のC#300と編成を組んでいた。
戦後、宝塚線の規格向上工事が1952年(昭和27年)9月に完成した為、客室扉下にステップが設置された。さらに、1953年(昭和28年)からは、51形の鋼体化改造が開始された。この時、電気機器や台車を51形発生品と交換し、500形が従来装備していた電気機器や台車を610系に供出した結果、性能は低下したが、320形と連結可能となったので、以後は同一グループとして運用される事になった。
その後も、付随車化された300形を組み込んで宝塚線で使用されていたが、1100系や2100系の増備に伴い今津線や箕面線などの支線運用が中心となり、さらには昇圧改造の対象外となった為、1967年(昭和42年)までに運用から外れ休車または廃車となった。
廃車となったC#500~C#505及びC#508~C#509は、広島電鉄に譲渡され、ドア位置の変更などを行い1070形となった。一方、休車となった車両は、能勢電気軌道(現在の能勢電鉄)の平野車庫に留置され、輸送力増強工事の進捗にあわせて、改造の上阪急電鉄籍のまま貸与される形で復帰し、1977年(昭和52年)までに能勢電鉄に譲渡された。
広島電鉄では、広島電鉄宮島線で使用されていたが、宮島線の市内線との直通運転化拡大により次第に運用される事が少なくなり、1988年(昭和63年)までに廃車された。
能勢電鉄では、1979年(昭和54年)に車体更新され、一部車両の運転台が撤去されたほか、電動発電機が設置され、さらに車内灯が蛍光灯化された。なお、C#518~C#519は更新されなかった。
しかしながら、ATSの取り付けが困難な事から、次第に1500系に置き換えられ、最後まで残っていたC#518~C#519が1986年(昭和61年)に廃車され、姿を消した。
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