防空壕
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防空壕(ぼうくうごう)とは、敵方の航空機の攻撃(空爆、機銃掃射)及びミサイル攻撃から避難するために地下に造られた施設。シェルター
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[編集] 日本
日本では第二次世界大戦中に、アメリカ軍をはじめとする連合国軍機による銃後への大規模空襲が現実のものとなり、空襲の危険から逃れるため、1944年頃から学校の校庭、強制疎開跡の空き地、個人宅内などに大量に作られるようになる。空襲警報が鳴ると、身近なところに造られた防空壕に身を隠した。
現在、日本では全国5000箇所以上に造られた防空壕の陥没問題が深刻化しており、入口をコンクリート、内部を土砂で埋め戻す作業が行われているが、あまり進んでいないのが現状である。このため、防空壕内で遊んでいた小・中学生が一酸化炭素中毒で死亡する事故も発生している。これは、戦時中に国が国策として掘削したにもかかわらず、基本的に防空壕の所有権は土地の地権者にあるとされ、国が国費を投じて埋め戻すことを拒んでいるためである。また、民間で設置した小規模な防空壕は場所も基数も調査のたびに増加するなど、全体像の把握には至っていない。これらのことから、防空壕を埋め戻すのではなく、所有権を防衛省に与えて鉄筋コンクリートなどで補強するべきとの意見もある。
[編集] 防空壕の特徴
- 鉄筋コンクリート造のものも一部に造られたが、物資難の状況から多くは土に穴を掘り、周囲に土を盛ったり、廃材を利用して築いていた。
- 都市部に造られた簡易なものは、終戦後まもなく破壊されたが、郊外に造られた洞窟状の防空壕や、鉄筋コンクリート造のものが残っていることもある。戦争遺跡として保存すべきという意見もあるが、崩落など事故が懸念されるものもあり、各地で問題になっている。
- 飛行機を隠すために造られた掩体壕もある。
- 冷戦期には大量破壊兵器の恐怖からNBC-すなわち核兵器、生物兵器、化学兵器-から防護されたシェルターやその機能を持つ地下鉄駅などが盛んに作られた。
[編集] 他国の例
- 韓国では地下鉄や地下街を、有事の際に防空壕に転用することとなっている。このため、地下鉄の駅構内での無断撮影は禁止されており、また首都ソウルをはじめ多くの主要都市に地下街が発達しているのもこのためである。
- 第二次世界大戦当時、バトル・オブ・ブリテンにおいてドイツ空軍の爆撃にさらされたイギリスのロンドンでは発達した地下鉄を防空壕として使用した。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 軍事施設 | 太平洋戦争の戦略爆撃 | 昭和時代