阿部正篤
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阿部正篤(あべ まさあつ)は、江戸時代の大名。陸奥白河藩の第2代藩主。忠秋系阿部家10代。
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 享和元年9月3日(1801年10月10日)? | |||
死没 | 天保14年3月17日(1843年4月16日) | |||
別名 | 房丸(幼名) | |||
戒名 | 大厳院殿無彊大居士 | |||
官位 | 従五位下、飛騨守 | |||
藩 | 陸奥白河藩主 | |||
氏族 | 松平氏→阿部氏 | |||
父母 | 父:紀伊支流松平頼興、養父:阿部正権 | |||
妻 | 正室:島津斉宣の娘 | |||
子 | 養子:阿部正瞭 |
享和元年(1801年)9月3日(異説として文化4年(1807年))、徳川宗将の五男・松平頼興の子として生まれる。文政6年(1823年)、先代藩主の阿部正権が死去したため、その養子として後を継いだ。しかし生まれつき病弱のため、天保2年(1831年)11月20日に養子・正瞭(大河内松平信明の九男)に家督を譲って隠居し、天保14年(1843年)3月17日に死去した。墓所:東京都台東区蔵前の西福寺。
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