陳垣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陳垣(ちん, えん 1880年 - 1971年)は、中国の歴史学者、中国宗教史研究の第一人者である。字は援庵、広東省新会県の人。
若くして科挙を受けるが及第しなかったため、1905年に広州で『時事画報』を創刊し、革命思想を広めるために尽力した。
1907年、博済医学院に入学する。
辛亥革命の成功後、1913年に衆議院議員に当選する。1921年には、中華民国教育部次長に任命されるが、後に政治腐敗に心を致し、北京に留寓して歴史研究と教育に従事することとなる。
その『元也里可温考』は、宗教史・校勘学・考古学の各方面において等しく評価される名著である。
1926年から1952年まで、北京の輔仁大学の校長を務め、1952年から没するまでは北京師範大学の校長であった。
1959年に中国共産党に入党するも、文化大革命中には軟禁された。
[編集] 主な著作
- 『南宋初河北新道教考』
- 『明季塡黔仏教考』
- 『清初僧諍記』
- 『通鑑胡注表微』
- 『二十史朔閏表』
- 『史諱挙例』
- 『釈氏疑年録』