雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件
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雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件(ゆきじるしやくもこうじょうだっしふんにゅうしょくちゅうどくじけん)とは、1955年に東京都で発生した集団食中毒事件である。原因は、学校給食に供された雪印乳業製の脱脂粉乳であった。東京都内の学校給食で、輸入品の脱脂粉乳を国産品に切り替えた日に発生した事件であり、国産の乳製品の信頼性を一時的に損なう事件となった。
[編集] 経緯
- 3月1日 学校給食に供された国産脱脂粉乳により、東京都の小学生1,936人が、相次いで食中毒の症状を呈した。児童の給食の共通性から、真っ先に脱脂粉乳が疑われたが、翌3月2日、製造元の雪印乳業が因果関係を否定する会見を行った。
- 3月3日 東京都が脱脂粉乳から溶血性ブドウ球菌を検出。雪印乳業は、直ちに自社製品の落ち度を認め、製品回収とともに謝罪広告の掲載や謝罪訪問を開始した。
[編集] 原因
- 前年、北海道八雲町の工場内で、たまたま停電と機械故障が重なる日があった。この際、原料乳の管理が徹底されず、長時間にわたり原料乳が加温状態にさらされたことから、溶血性ブドウ球菌が大量に増殖したと考えられている。また、前日の原料乳が使い回されるといった杜撰な製品管理も重なり、被害が拡大したとされる。
- なお、雪印乳業は45年後の2000年に、ほぼ同様の原因で食中毒事故(雪印集団食中毒事件)を再発させている。
[編集] リスクマネジメントの成功と失敗
- 雪印乳業は発覚後、即座に謝罪と製品回収、謝罪広告の掲載、被害者への謝罪訪問など先手先手で対応措置を展開。危機管理(リスクマネジメント)の対応という点では、当時の水準を遙かに上回る措置であったことから、企業イメージへの打撃を最小限度に押さえたばかりか、長期的に見れば企業イメージ向上にすら繋がったと言われている。
- 雪印乳業は、食中毒の発生後しばらくの間、新入社員に対し事件を戒める教育を施していたが、やがて風化した。
- 皮肉にも2000年には、ほぼ同じ原因で雪印集団食中毒事件が発生しているが、この際には対応は後手後手に回り、リスクマネジメントの観点では最悪の対応と揶揄される事態となった。このため、企業イメージは失墜、雪印グループ解体の主要因となった。