電子情報技術産業協会
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社団法人電子情報技術産業協会(でんしじょうほうぎじゅつさんぎょうきょうかい、Japan Electronics and Information Technology Industries Association)は、エレクトロニクス技術や電子機器、情報技術(IT)に関する業界団体。略称JEITA。
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[編集] 歴史
2000年11月1日に日本電子工業振興協会(Japan Electronic Industry Development Association、略称JEIDA、ジェイダ)と日本電子機械工業会(EIAJ)が統合して誕生した。
2005年4月1日に電子情報技術産業協会(JEITA)と日本電子材料工業会(EMAJ)が統合して、日本電子材料工業会が2005年3月31日付で解散した。
[編集] 日本電子工業振興協会
1957年6月、通産省は電子工業(特にコンピュータ関連)の振興を図る目的で電子工業振興臨時措置法を制定した。これを受け、電子工業分野のメーカーを会員として日本電子工業振興協会が1958年4月に設立された。日本電子工業振興協会(通称、電子協)は、新しい電子工業分野の技術向上や研究開発の促進などにより電子工業の振興を図ることを目的としている。
一方、それ以前から電波技術協会内に電子計算機調査委員会が設置され、各種コンピュータ本体や周辺機器を調査研究していた。この委員会も電子協設立と同時に電子協に移管され、8社(東芝、富士通、日立製作所、日本電気、沖電気、三菱電機、北辰電機製作所、黒沢通信機)共同で分担してコンピュータシステムを開発するプロジェクトが開始された。このプロジェクトは IBM 650 に対抗しうる国産コンピュータを開発することを目標としていた。しかし、CPUを担当していた東芝が突然真空管からトランジスタに切り替えることを宣言し、それまでの設計では結合不能となったためにプロジェクトは失敗に終わった。
電子協は発足年の11月には計算センターを開設し、会員メーカー各社の初期のコンピュータの1号機をセンター設備として買い取るという助成政策を実施した。この計算センターは同時にコンピュータに関する教育の場にもなり、日本のコンピュータ産業黎明期には重要な意味を持っていた。
PCカード標準の策定にはPCMCIAとともに大きな役割を果たしていた。
[編集] 日本電子機械工業会
日本電子機械工業会は1948年4月に無線通信機械工業会として設立して、 1958年5月に日本電子機械工業会に改称した。
[編集] 主催する主な展示会
- CEATEC(旧エレクトロニクスショー、2000年から改称)
- 毎年開催される国内最大規模の電子機器、電子部品の総合展示会
- 国際放送機器展(略称Inter BEE)
- 毎年開催される国内最大規模の放送関連機器の展示会
- Electronic Design and Solution Fair(略称EDSF)
- 電子ディスプレイ展(略称EDEX)
- 実装プロセステクノロジー展(略称PROTEC)
これらの展示会は、下部組織の日本エレクトロニクスショー協会(JESA)が準備し、出展を募る。
[編集] 主要な刊行物
- 調査報告書
- 規格書