青柳進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青柳 進(あおやぎ すすむ、1968年7月9日 - )は昭和末期から平成期(1980年代後半-2000年代前半)に活躍した元プロ野球選手。ポジションは捕手(他にも一塁手や外野手も兼任)。投打は右投右打。血液型O型。
目次 |
[編集] 来歴・人物
福岡県久留米市出身。西日本短期大学附属高等学校から1987年のドラフト会議でロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に3位指名を受け入団。当時チームには袴田英利が正捕手として君臨していた為、なかなか一軍昇格とはならなかった。1990年頃から正捕手を務め、チームを引っ張る。しかし、定詰雅彦等若手捕手が急成長を見せスタメン出場も減り、遂には正捕手の座を奪われてしまった。
1995年にヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に移籍。そこでも古田敦也が正捕手として君臨していた為正捕手の座は奪えず、青柳が守備に就くときと言えば、古田に万一の事態が起こった場合だけに等しかった。そんな中、自ら肩力の衰えを感じ、守備にも不安があることから、代打業に専念することを決意。1997年にチームはリーグ優勝、そして日本シリーズで日本一を飾り、青柳も代打など陰から貢献した。
スワローズで代打要員となって、代打成功率は4割以上をマーク。いつしか「代打の切り札」と呼ばれるまでになった。また、左右どちらにも打ち返す技術を身につけ、普段選手をあまり褒めることの無い野村克也が「青柳は天才だ」とまで言わしめた程である。
その後も陰からチームを支え、2002年に現役を引退した。
[編集] その他
[編集] 背番号
- 59(1987年~1993年)
- 4(1994年)
- 44(1995年~2002年)
[編集] 通算成績
- 596試合 打率.232(1196打数278安打)26本塁打 140打点 1盗塁