飯塚佳寛
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飯塚 佳寛(いいづか よしひろ、1945年1月26日 - )は、プロ野球選手。栃木県出身。内野手。右投げ左打ち。
[編集] 来歴・人物
宇都宮学園から鷺宮製作所を経て1969年、ドラフト14位でロッテに入団。1971年、大洋に移籍。1972年シーズン終了後に広島へ移籍したが、翌シーズン開幕直前にロッテに復帰した。正遊撃手として1974年のロッテの日本一に貢献した。また1977年には規定打席未到達ながら340打数で打率.306という成績も残している。1980年限りで現役引退。
後にロッテスカウトを勤め、里崎智也、成瀬善久、内竜也らを発掘した。2005年東北楽天ゴールデンイーグルスが発足すると同球団スカウトとして迎えられるが、2006年シーズン終了後に退団した。
大洋時代の1971年6月24日巨人戦の6回表に代走で二塁ランナーに入り、次打者のセンター前ヒットで飯塚は三塁を回り本塁生還。しかしサード長嶋茂雄が「飯塚がサードベースを踏んでいない」とアピールし、これが認められて飯塚はアウトになった。
1994年にロッテスカウトとして、地元の有望選手である日産自動車の北川哲也投手の逆指名での獲得を目指し、ほぼ入団が決定していたが、彼は急遽ヤクルトを逆指名してしまう。そのことが当時GMを務めていた広岡達朗の逆鱗に触れ、まもなく解雇される。当時のマスコミに広岡流のチーム改革の例として取り上げられた。なお、広岡GM退任後に復帰した。
横浜に入団した土居龍太郎投手の義父(飯塚の三女と結婚)であったが、土居がロッテに移籍してきたときにはすでに飯塚は楽天におり、チームメイトになることは無かった。また後に彼らは離婚した。
[編集] 通算成績
1065試合 593安打 .256 12本塁打 142打点 171盗塁