館林徳川家
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館林徳川家(たてばやしとくがわけ)は江戸幕府3代将軍・徳川家光の4男・徳川綱吉を家祖とし、上野国にあった徳川氏の一支系。単に館林家とも言う。
寛文元年(1661年)8月に綱吉が上野館林藩主となり、25万石を賜ったのにはじまる。兄の4代将軍家綱に嗣子が無かったことから綱吉はその養嗣子となって江戸城二の丸に入ったため、藩主には子の徳松が就任した。綱吉が将軍に就任すると綱吉の将軍就任に反対した酒井忠清が失脚して徳松は綱吉の世継ぎと定められて江戸城二の丸に入り(のち夭折)、館林藩は天領となって館林徳川家は絶家した。