高木正得
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高木 正得(たかぎ まさなり 1894年1月 - 1948年)は日本の昆虫学者、貴族院議員、子爵。
旧河内丹南藩の最後の藩主高木正善の子として生まれる。東京帝国大学理学部動物学科を経て東京帝国大学大学院修了。昆虫学、寄生虫学を専攻。1920年2月に襲爵。
貴族院議員や司法参与官を歴任。公務の傍ら、チョウやカミキリムシを研究。昭和初期には、秋田県の官民共有林の払い下げを巡って詐欺的行為を働き、告訴を辛うじて免れて名古屋市に移住したといわれる。名古屋では生活に窮し、風船売りで生計を立てたこともある。
戦後は東京都渋谷区の関東女子高等学校(現在の関東国際高等学校)に奉職。しかし、1948年7月8日、「呉れゞゝも捜してはいけません。無駄です。自然に融合して還元するのみ」との遺書を残し、昆虫採集用の青酸カリを持ち出して失踪、大騒ぎになった。貴重な研究資料だった蔵書や昆虫標本類を戦災でことごとく焼失した上、それらを集め直すことが華族制度廃止で不可能になった悲しみと絶望が失踪の理由だったのではないかと邦子夫人は推測した。
1948年11月1日、奥多摩の雲取山中にて白骨死体となって発見された。縊死と考えられている。奥多摩は、かつて足繁く昆虫採集に通った思い出の地だった。