高橋豊二
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高橋 豊二(たかはし とよじ、1913年 - 1940年3月5日)は、日本のサッカー選手。ポジションはフォワード。東京都成城出身。
東京帝国大学サッカー部に所属していた1936年、ベルリンオリンピック・サッカー競技に日本代表選手として出場。のちに「ベルリンの奇跡」と称される1回戦の対スウェーデン戦には出場はしていない。
第20代内閣総理大臣・高橋是清子爵を祖父に持ち、当時のチームメイトからは「マゴ」と呼ばれていたという。なお、豊二がベルリン五輪代表に選出される直前の1936年2月26日、祖父・是清は二・二六事件によって暗殺されている。
東京帝大卒業後、海軍航空学校に入り予備航空学生となったが、1940年に館山航空隊で訓練中の事故により殉職。享年26。
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