高鳥修
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高鳥 修(たかとり おさむ、昭和4年(1929年)6月3日 - )は、昭和、平成期の日本の政治家。自由民主党衆議院議員。竹下内閣の総務庁長官、宮沢改造内閣の経済企画庁長官を歴任する。
昭和4年(1929年)6月3日新潟県西頸城郡能生町(現在の糸魚川市)に生まれる。7歳のとき両親を失い、以後祖父で衆議院議員、貴族院議員を務めた高鳥順作に育てられる。昭和28年(1953年)東京大学法学部を卒業する。昭和29年(1954年)25歳の若さで地元、能生町長に当選する(全国最年少)。町長時代に田中角栄とのつながりが生まれる。昭和33年(1958年)新潟県議会議員選挙に立候補し当選する。
昭和42年(1967年)第31回衆議院議員総選挙に旧新潟4区から立候補する。このときは4万4770票を獲得するも次点で落選した。浪人となった高鳥は田中角栄の秘書として田中事務所に勤務する。昭和44年(1969年)第32回衆議院議員総選挙に立候補し6万2442票を獲得し2位当選する。以後当選回数11回。当選後は、田中派に参加する。大蔵政務次官、法務委員長、地方行政委員長などを歴任する。田中派分裂に当たっては、竹下派に参加する。昭和62年(1987年)竹下登内閣の総務庁長官として初入閣する。竹下派分裂に当たっては小渕派に参加する。平成4年(1992年)衆議院予算委員長。平成5年(1993年)宮沢喜一改造内閣の経済企画庁長官に就任する。平成11年(1999年)勲一等旭日大綬章を受章する。平成12年(2000年)第42回衆議院議員総選挙では比例代表北陸ブロックに転じる。
平成15年(2003年)第43回衆議院議員総選挙を機に引退し、息子の高鳥修一が出馬を表明。
[編集] 略歴
- 昭和29年-33年 新潟県能生町長
- 昭和33年-42年 新潟県議会議員
- 昭和34年 新潟県森連会長
- 昭和44年 衆議院議員
- 昭和63年-64年 国務大臣総務庁長官
- 平成4年 衆議院予算委員長
- 平成5年 国務大臣経済企画庁長官
- 平成5年 日本治水治山協会会長
- 平成14年 党衆議院議員総会長
- 平成14年 党行財政調査会長
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