鹽竈神社
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志波彦神社・鹽竈神社 | |
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春の鹽竈神社(本殿) |
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所在地 | 宮城県塩竈市 |
主祭神 | 志波彦神(志波彦神社) 塩土老翁神・武甕槌命・経津主神(鹽竈神社) |
社格等 | 式内社(志波彦神社)・国幣中社・別表神社 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 3月29日(志波彦神社) 7月10日(鹽竈神社) |
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は、宮城県塩竈市にある神社で、陸奥国の一宮である。全国にある塩竈神社(塩釜神社とも表記する)の総本社。塩土老翁神を主祭神とし、武甕槌命、経津主神を祭神とする。明治時代に、式内社の志波彦神社(しわひこじんじゃ)が境内に遷座し、現在は一つの法人となっている。
塩土老翁神は海や塩の神格化と考えられる。神武天皇や山幸彦を導いたことから、航海安全・交通安全の神徳を持つものとしても見られる。また安産祈願の神でもある。
鹽竈神社境内には、シオガマザクラという重要な桜の一種があり、毎年メディアに取り上げられるほど有名である。また、塩釜祭りの際には、鹽竈神社が祭りの出発点となり、塩竈の街と密接な関わりを持っている。
目次 |
[編集] 歴史
志波彦神社は『延喜式神名帳』に名神大社として記載されている。多賀城への交通の要所に位置し、朝廷からも崇敬されていたが、中世以降は衰微し、岩切村の牛頭天王社に合祀された。
鹽竈神社は、武甕槌命・経津主神が東北を平定した際に両神を先導した塩土老翁神がこの地に留まり、現地の人々に製塩を教えたことに始まると伝えられる。式外社ではあったが、『弘仁主税式』によれば国司より祭祀料を受けており、当時から重要な神社とされていたことがわかる。仁和4年(888年)以後は大神宝史発遺の対象社として国内随一と認められる。奥州藤原氏など歴代の領主からも崇敬された。伊達政宗は仙台城築城の際に社殿を修造し、以降、歴代の仙台藩主が手厚く保護した。藩内に異変があると末社の竈神社の竈の水が変色したという。
明治7年(1875年)、志波彦神社を別宮本殿に迎え、昭和9年(1934年)には新たに社殿を設けた。明治4年に志波彦神社が、明治7年に鹽竈神社が国幣中社に列格した。
[編集] 文化財
- 重要文化財
- 左宮本殿
- 左宮幣殿
- 右宮本殿
- 右宮幣殿
- 左右宮廻廊
- 左右宮瑞垣
- 左右宮拝殿
- 別宮本殿
- 別宮幣殿
- 別宮廻廊
- 別宮瑞垣
- 別宮拝殿
- 門及び廻廊
- 随身門
- 鳥居
[編集] 全国の塩釜神社
- 塩竈神社 (和歌山市)
- 塩竈神社 (名古屋市)
- 塩竈神社 (鎌倉市)
- 塩釜神社 (松本市)