黒澤浩樹
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黒澤 浩樹(くろさわ ひろき、1962年9月6日 - )は日本の空手家。身長174cm、体重88kg。
高いKO率を誇る下段蹴りを武器に「格闘マシーン」と呼ばれた。フルコンタクト空手日本一を競う全日本空手道選手権大会では1984年11月に初出場初優勝という偉業を成し遂げたのを皮切りに、1985年準優勝、1993年6位という結果を残し、また世界一を競う全世界空手道選手権大会では1987年6位、1991年3位、1995年6位と、長く極真空手の第一人者として君臨し続けた。
またその格闘スタイルについては、1991年6月の全日本ウェイト制空手道選手権大会において、薬指の開放骨折後もドクターストップまで戦い続けた姿勢に象徴されている。
大山倍達の死後にお家騒動が起こり極真は数個の団体に分裂する頃に黒澤は極真を離れることとなる。
1997年に開催されたPRIDE1に参戦。身長203cm、体重130kgの巨漢、イゴール・メインダートと対戦。基本的には総合ルールだが、顔面パンチ無し、ロープブレイク有りと言う珍しいルールであった。1R投げ技をこらえようとした黒澤は右膝十字靱帯断列という大怪我を負い、耐えながらも立っていることさえ困難になり、3R、TKO負けとなる。
同年に黒澤道場を設立。 その後K-1のリングへの参戦するも、特筆すべき結果は残していない。
[編集] 備考
- 松井章圭、増田章とあわせて三強時代と呼ばれた。
- PRIDE創世に関わった団体KRSの幹部でもあったが、DSEがその任を引き継ぐと、やがてPRIDEの表舞台から消えていった。
- PRIDE.1のイゴール・メインダート戦はイゴール・メインダートの不信な動き、体格差で圧倒できるにもかかわらず手数も少なく消極的な攻めから、あの試合は片八百長(イゴール・メインダートの)という説がある。
- ウェイトトレーニングに熱心に取り組んでいた空手家としても有名だが、過酷なトレーニングの副作用か、ケガの多い選手でもあった。
- 試合中に負った深刻な怪我も、もろともせず戦い続ける姿勢から、伝説的な空手家、極真魂の具現者として、空手家の中で熱狂的なファンが存在する。