極真会館
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極真会館(きょくしんかいかん)は、通称“ゴッド・ハンド”、“牛殺し”の大山倍達十段が創始した空手団体。正式名称は『国際空手道連盟極真会館』である。前身は大山道場。
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[編集] 組織概要
戦後、大山が千葉県館山にて待田京介少年(後に有名な映画スターとなり、現在は総本部特別顧問)を弟子にすることから道場の歴史が始まった。その後、東京池袋に大山道場を構え、それが極真会館と名前を変える。直接打撃制(フルコンタクト)を提唱したため伝統的な空手流派から異端扱いされたが、伝統派とは別の新しい層より徐々に支持を受け始め1969年には全国大会を開催し、その名を轟かすようになる。
“地上最強の空手”を標榜して世界を席巻、1975年には世界大会を成功させ、今でも4年ごとに開催している。中村忠、大山茂、大山泰彦、三浦美幸といった大山の高弟たちが世界の国々に支部長として赴任して極真空手を普及、国内でも芦原英幸らが支部長として各地で極真空手を普及し、極真会館は名実ともに世界有数の空手団体となる。
極真空手の日本での人気は、大山の義兄弟であった梶原一騎(劇画原作者)による劇画『空手バカ一代』(1971~)や、映画『地上最強のカラテ1・2』、『最強最後のカラテ』のヒットによるところが大きい。当時の少年雑誌には、梶原と共に設立した通信教育「マス大山カラテスクール」の広告が必ず掲載されていたものである。また、アントニオ猪木率いる新日本プロレスと抗争を展開し、“熊殺し”ウイリー・ウイリアムスと猪木が異種格闘技戦を行ったこともある。
1994年大山の死後、松井章圭を館長とする体制が発足、郷田勇三を最高顧問、盧山初雄を最高顧問・主席師範として中村誠(関西地区本部長兼兵庫支部長)や川畑幸一(近畿地区本部長兼京都支部長)らかつてスター選手だった松井に近い有力支部長が松井体制を支えるも、松井体制に異を唱えた西田幸夫、三瓶啓二ら多くの支部長たちが離脱、その後も分裂騒動が続き、2002年12月には盧山、廣重毅、2005年には水口敏夫、2006年には浜井識安が離脱した。
現在、「極真会館」を名乗る団体には、通称「松井派」、松島良一代表の「松島派」、商標の保有団体である「全日本極真連合会」などがある。 他に「極真」を名乗る団体としては、緑健児が代表理事の「全世界空手道連盟新極真会」、盧山が館長の「極真空手道連盟極真館」などがある。それぞれの団体に多数の選手や一般門下生が在籍し、独自の全世界大会や全日本大会など各種大会が行われている。 なお、分裂騒動以後、極真会館から独立した団体として、黒澤浩樹が代表の「黒澤道場」、数見肇が館長の「数見道場」などがあるが、これらの団体は「極真」を名乗っていない。
[編集] 百人組手
達成者 | 達成日 | 所要時間 |
---|---|---|
三浦美幸 | 1973年4月13日 | |
ハワード・コリンズ | ||
松井章圭 | ||
三瓶啓二 | 1990年 | |
増田章 | ||
八巻健志 | 1995年3月18日 | |
フランシスコ・フィリォ | 1995年3月18日 | |
数見肇 | 1999年3月13日 | 4時間4分 |
百人組手(ひゃくにんくみて)とは、極真会館における修行の一つであり、一人の空手家が連続して異なる百人の空手家と組手を行うことである。組手中の勝敗は問われない。
ただ、そもそも極真会館のルールでは実際に相手の攻撃を受け止めなければならないため、怪我などで組手自体が続行不可能になることが多い。これまでに15人が挑み、完遂は右記の9人。中村誠、小笠原和彦などは失敗に終わっている。完遂しても身体へのダメージが大きいため、即入院というケースが多い。
全日本大会優勝を経験している、松井、増田、八巻、数見の場合、世界大会前の「通過儀礼」として行われた。
三瓶は途中何度も数十分の休憩を挟んでいる上、途中で大山が退室してしまったため、無効ではないかとの声もある。
松井は80人目を過ぎた辺りから意識朦朧となり我を失い、相手に頭突きをしたり、噛み付きもした。
95年に百人組手史上2人目の外国人完遂者となったフランシスコ・フィリョは、終盤になってもしっかりとした残心の構えを見せるなど、最後の100人目まで精気を失うことなく相手を圧倒し続け無傷で完遂した。無傷で入院もせず百人組手を完遂したのはフランシスコ・フィリョだけと言われている。当時、同日に百人組手を行った八巻との対照的な姿が話題となった。
[編集] 大会
[編集] 全世界選手権
全世界空手道選手権大会を参照。
[編集] 全日本選手権
- 男子
年 | 優勝 | 準優勝 | 3位 | 4位 |
---|---|---|---|---|
1969年 | 山崎照朝 | 添野義二 | 長谷川一幸 | 朴邦治 |
1970年 | 長谷川一幸 | 山崎照朝 | 添野義二 | 増田賢一 |
1971年 | 佐藤勝昭 | 大山泰彦 | 大石代悟 | 三浦美幸 |
1972年 | 三浦美幸 | ハワード・コリンズ | 佐藤俊和 | 山崎照朝 |
1973年 | 盧山初雄 | 山崎照朝 | 佐藤俊和 | 佐藤勝昭 |
1974年 | 佐藤勝昭(2) | 東孝 | 盧山初雄 | 西田幸夫 |
1975年 | ||||
1976年 | 佐藤俊和 | 二宮城光 | 東孝 | 沢柳俊夫 |
1977年 | 東孝 | 中山猛夫 | 中村誠 | 浜井識安 |
1978年 | 二宮城光 | 三瓶啓二 | 中村誠 | 廣重毅 |
1979年 | 中村誠 | 三瓶啓二 | 東孝 | 野口敏郎 |
1980年 | 三瓶啓二 | 中村誠 | 為永隆 | 松井章圭 |
1981年 | 三瓶啓二(2) | 中村誠 | 松井章圭 | 白石昌幸 |
1982年 | 三瓶啓二(3) | 水口敏夫 | 松井章圭 | 三好一男 |
1983年 | 大西靖人 | 小笠原和彦 | 竹山晴友 | 三好一男 |
1984年 | 黒澤浩樹 | 竹山晴友 | 水口敏夫 | 木元正資 |
1985年 | 松井章圭 | 黒澤浩樹 | 増田章 | ジェームズ・北村 |
1986年 | 松井章圭(2) | 増田章 | 八巻健二 | 小井義和 |
1987年 | ||||
1988年 | 桑島靖寛 | 石井豊 | 八巻健二 | 山口徹 |
1989年 | 八巻建志 | 田村悦宏 | 桑島保浩 | 増田章 |
1990年 | 増田章 | 緑健児 | 岩崎達也 | 外舘慎一 |
1991年 | ||||
1992年 | 田村悦宏 | 数見肇 | 岡本徹 | 七戸康博 |
1993年 | 数見肇 | 田村悦宏 | 岡本徹 | 七戸康博 |
1994年 | 八巻建志(2) | 数見肇 | 市村直樹 | 岡本徹 |
1995年 | ||||
1996年 | 数見肇(2) | ギャリー・オニール | 高久昌義 | 高尾正紀 |
1997年 | 数見肇(3) | ギャリー・オニール | 堀池典久 | 田村悦宏 |
1998年 | 数見肇(4) | 田村悦宏 | 木山仁 | 野地竜太 |
1999年 | ||||
2000年 | 木山仁 | 木村靖彦 | 市村直樹 | 木立裕之 |
2001年 | 木山仁(2) | 木村靖彦 | 足立慎史 | 市川雅也 |
2002年 | 数見肇(5) | 木山仁 | 田中健太郎 | 徳田忠邦 |
2003年 | ||||
2004年 | 田中健太郎 | 徳田忠邦 | ミハエル・コズロフ | マキシム・デディック |
2005年 | 内田義晃 | 塩島修 | 徳田忠邦 | 加藤達哉 |
2006年 | 内田義晃(2) | A・ホヴァニシアン | ディミトリー・ルネフ | クリストフ・ハブラシカ |
- 女子