CO-CoLO
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[編集] 概要
沢田研二のバックバンドとしてエキゾティクス(EXOTICS)解散後の1985年に結成。リーダー兼バンドマスターはカルトGSとして名高いハプニングス・フォーの元メンバーでクニ河内の実弟、チト河内。沢田研二と活動を共にした後、1988年に解散。
同バンド結成の1985年、沢田はザ・タイガース時代から長らく在籍したナベプロを独立し、個人事務所株式会社ココロを設立した(ただし同社はナベプロの資本が参入している実質的な子会社である)。またそれに伴いレコード会社もポリドール(現ユニバーサル・ミュージック)から東芝EMIに移籍となった。この背景には他者のプロデュースを退け、沢田自身のよりアーティスティックな表現を自身の意志で制作するための環境作りがあった。
そしてその意志を音楽面で確立するために結成されたのがこのCO-CoLOである。チト河内を中心にツインドラムという従来にないスタイルで、ベテランを中心にした技巧派揃いの編成となったこのバンドには自身の事務所と同じ名を冠し、沢田本人はCO-CoLOを単なる「バックバンド」ではなく、「沢田をボーカリストとするバンド」と位置付け(これはエキゾティクスでも同様)、音源制作とライブ活動の全てを共にする密接な関係を築いた。
しかしその音楽性は従来の沢田ファンには受け入れられたとは言い難く、レコードのセールスも減少してしまった。これはそれまでの沢田に見られた音楽とビジュアル両面の華やかさが鳴りを潜め、私小説風の歌詞とAORサウンドといういわゆる「地味」な傾向に終始したこと(と沢田がスキャンダルに塗れたこと)が大きな原因と考えられる。特に眼鏡をかけ無精ひげを伸ばした沢田の姿には否定的な意見が多かった。
こうして音楽の完成度としては決して低いとはいえない作品を残しながらも、沢田自身のモチベーションの低下もあってか、1988年に同バンドは解散となった。この後、沢田はエキゾティクス時代以来となる吉田建との共演により、再び煌びやかなロックサウンドに回帰することとなる。
[編集] メンバー
[編集] スタイル
前述通り単なる「バックバンド」の域を超えたスタイルで、当時の作品には「沢田研二/CO-CoLO」とクレジットされたり、メンバー表記においても「CO-CoLO by KENJI SAWDA CHITO KAWACHI……」とクレジットされるなどあくまで同等、「ボーカリストに沢田を含むバンド」というスタンスを貫いた。アーティスト写真でも沢田を含むメンバー全員の集合写真も多い。
[編集] サウンド
前述通り、ツインドラムを中心としたAORサウンドを基調としている。楽曲はそれまでの沢田のキャリアとは異なり、文字通りアダルトで落ち着いたムードの情感溢れるサウンドが多い。ライブにおいては、沢田の過去の楽曲もこうしたテイストにリアレンジされた形で演奏されることも多かった。確かにセールス面では振るわなかった同バンドであるが、音楽の完成度自体は決して低いものではない。これはデビュー作となった「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ~千夜一夜物語~」では「オリエンタル」を意識した旋律と演奏である一方、「きわどい季節」では全編にストリングス演奏を導入したクラシカルなテイストを用い、また「TRUE BLUE」ではフォークソング、「EDEN」ではボサノバといったようなベテランならではの多様な音楽的表現を見せたことからも判断できる。
[編集] 解散後
それぞれプレーヤー、作曲家、アレンジャー、プロデューサー、スタジオミュージシャン等として活動している。元々メンバーはチト河内の知己で構成されていることもあって、様々なプロジェクトでメンバーは度々共演している。ただし沢田との共演はほとんどない。
[編集] 作品
[編集] シングル(沢田研二作品)
- アリフ・ライラ・ウィ・ライラ~千夜一夜物語~ 1986/4/23
- 女神 1986/10/22
- きわどい季節 1987/3/21
- STEPPIN’ STONES 1987/7/22
- CHANCE 1987/11/16
- TRUE BLUE 1988/6/25
[編集] アルバム(沢田研二作品)
- CO-CoLO 1~夜のみだらな鳥達~ 1986/6/25
- 告白-CONFESSION- 1987/5/25
- TRUE BLUE 1988/7/24
[編集] 関連項目