利用者‐会話:Spirituelle
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
目次 |
[編集] ウィキペディアにようこそ!
こんにちは。はじめましてSuisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!
ウィキペディアで活動する際にはWikipedia:ガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。よろしければ 自己紹介してみてください。何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することが出来ます。あなたがよきウィキペディアンになることを期待します。
なお、このメッセージは利用者 - 会話ページに何も記入されていない方に投稿しておりますので、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、お詫びいたします。--Suisui 17:56 2004年5月13日 (UTC)
[編集] 管理者への推薦
思うところがあり、 Spirituelleさまを管理者にご推薦したく存じます。ご快諾いただければ幸いですが、 なにぶん突然のことで驚かれると存じます。 Wikipedia:コミュニティ・ポータルや他の文書の編集をなさっているところを拝見し、また日ごろの ノートページなどでの議論で信頼に足る方と思い、ご連絡差し上げた次第です。
ご気分を害されないとよろしいのですが、今回はかなりたくさんの方にこのお知らせを差し上げています。 他の言語版での投稿者数や投稿数と管理者の数の割合ををみるに、 日本語版で管理権限をもっているユーザは今の倍くらいいてもよいのではないかと 愚考したためでございます。 お返事いただいたのち、あらためて私のほうからご推薦をいたしたく存じます。 ご多忙のみぎりとは存じますがお返事いただければ幸いです。KIZU 13:39 2004年5月16日 (UTC)
- 返信が遅れて申し訳ございません。しばらくインターネットにアクセスできない状況にありました。
管理者推薦の件ですが、現在は保留ということにして頂いてよろしいでしょうか? 理由は管理者として構成に活動していける自信がないからと、 その過度の慎重と最近の多忙な為、せっかく管理者権限を頂いても、全く行使しないといったことになる可能性が高いからです。 お忙しい所ご推薦頂いたのに、誠に申し訳ありません。
spirituelle 16:11 2004年5月20日 (UTC)
-
- お忙しいところお返事ありがとうございます。現在のご意向は了解いたしました。ご心境に変化がおありになるようなら、私までお知らせをください。今後ともよろしくお願いいたします。KIZU
[編集] 井戸端でのご発言について
井戸端#九州王朝説についてについてのことです。Spirituelle さんのご主張に反対するわけではないのですが、「そもそも疑似科学自体が科学との明確な線引きをするのは不可能ですから。」という所が少し気になりました。私は科学と疑似科学ははっきりと区別するべきものであると考えていますが、どういった場合にこれらが曖昧になるのでしょうか? データや資料の捏造を疑似科学と呼ぶべきかどうか、ということでしょうか。--Calvero 2006年8月11日 (金) 19:35 (UTC)
- 『哲学的な何か、あと科学とか』「猿でも分かる哲学史」私が思想的に大きな影響を受けているサイトの一部ですが、ここの科学哲学史の項目を読んでいただけると、私が自分の言葉で語るよりも分かりやすいと思います^^; 論理実証主義をとるならば、どこまでの論理の飛躍を認めるか、反証主義をとるならば、どこで疑うことをやめるかが曖昧といえるでしょう。spirituelle 2006年8月12日 (土) 07:06 (UTC)
-
- 上記のサイト、拝読いたしました。サイト中「反証可能性」の解釈についてはちょっと微妙な気もしましたが、概ねご主張を理解しました。なかなか奥の深い問題ですね。いきなり「科学と疑似科学の境界は曖昧だ」といわれてびっくりしてしまい、これらを混同させるつもりだろうか、との疑念を持ってしまったことを謝罪します。最近疑似科学として取り上げられているインテリジェント・デザインとか水からの伝言などを見ると、日本の科学教育は大丈夫なのか? と心配になっていたもので。--Calvero 2006年8月12日 (土) 09:30 (UTC)
-
-
- もちろんインテリジェント・デザインを科学として扱う気は毛頭ありません。しかしながら、進化論とて学問の性質上、反証可能性が十分にあるとは言いがたいのが現状です。やはり「科学」の限界を知ることも大切です。コペルニクス的転回が起こって進化論が「疑似科学」に変わる可能性だって十分ありえますので(まあ創造科学が進化論に取って代わることは少なくともありえないでしょうけど^^;)。科学(自然科学に限らず社会・人文諸科学も含めて)に携わる者は等しく心に留めておかなければならない問題ですね。spirituelle 2006年8月13日 (日) 09:40 (UTC)
-
-
-
-
- 進化論(専門家は「進化生物学」と呼ぶ方がいいと考えているらしい)が、将来になって疑似科学と判定されることはほとんどあり得ないでしょう。否定されることならあり得るでしょうが。
- それと、正直言ってそのサイトの反証主義にまつわる結論は詭弁でしかないと思います。まさか鵜呑みにはしてませんよね? -- NiKe 2006年8月19日 (土) 00:54 (UTC)
-
-
-
-
-
-
- 過去において否定された「科学」のうち重要な物にニュートン力学があります。これは否定されはしましたが、現在において疑似科学とはみなされていません。理由は、例え世界の仕組みを説明する資格を相対論・量子論に奪われたとはいえ、現在においてもニュートン力学は実用的に非常に便利なツールであるからでしょう。しかしながら、進化論(進化生物学)が将来において世界の仕組みを説明する別の理論に取って代わられたとしましょう。この時進化論は実用的な価値は何もありません。従って、私はもし将来進化論が否定されたとしたらおそらく天動説と同じ運命をたどるのではないかと思っています。
-
-
-
-
-
-
-
- 私は「反証主義とて完璧ではない」という結論に関しては鵜呑みにしています。「反証主義こそが科学と疑似科学を明確に分けることができる」という主張を鵜呑みにするよりはよほど健全だと思いますので。ところで、根拠も無く「そのサイトの反証主義にまつわる結論は詭弁でしかないと思います」という主張をなされても、客観的な観察・実験結果に全く基づいておらず反証可能性も皆無なので、非科学的で対応に困るのですが。そう主張なさる論拠をお願いしたいです。『哲学的な何か、あと科学とか』「論客コミュニティ」 同サイトの掲示板で主張するのも良いと思います。--spirituelle 2006年8月19日 (土) 03:00 (UTC)
-
-
-
インデントを戻します。私は天動説は「疑似科学」である(正確には「疑似科学で」あった)と思っています。NiKeさんは「疑似科学」ではないと思っています。おそらく互いの「疑似科学」に対する定義が一致していませんので議論も水掛け論になっていると思われます。議論を続けるのであれば、定義を一致させる必要があると思われます。私は疑似科学の定義を「科学ではないが科学の名を騙るもの」としております(その科学の定義が問題となっているわけですが)。従って、プトレマイオス以来科学とされてきた天動説は現在では完全に否定されているわけですので、疑似科学というわけです(厳密には現在科学であると主張する勢力はほとんど無いので現在疑似科学としてあるとは言えませんが)。インテリジェントデザインは反証可能性に欠けるので、やはり科学としての資格に欠け、疑似科学と判断するわけです。
さて、『反証として結果を出しても否定されてしまう』とありますが、これのどこが詭弁なのかということです。実際に「反証として結果を出し」たかどうかを論理的に証明する術も反証する術もなく、どこかで実験結果が正しいか間違っているかという判断をせざるを得ないというのが例のサイトの主張であります。--spirituelle 2006年8月19日 (土) 05:07 (UTC)
- 驚きました。あなたの疑似科学に関する認識はいくらなんでも不十分に過ぎます。それでは、科学的ではあるが反証されて否定された学説と、科学的方法を偽装した(あるいは誤認した)疑似科学的言説と、区別することが出来ないじゃありませんか。天動説はちゃんと反証されて否定されており、反証可能性がありましたよね。
- あと、有効な反証がなされたかどうかを「論理的に証明」できないからってそれがなんなんですか? 反証の反復や、経験の積み重ねによって『この反証は正しいに違いない』と判断するんでしょ。 -- NiKe 2006年8月19日 (土) 09:34 (UTC)
-
- 区別する必要が無いから区別していません。現在の私にとって天動説もインテリジェントデザインも同等に役に立たない説ですから。これはあくまで私見ですのでウィキペディアの記事にするつもりはありませんが。NiKeさんにとって区別する必要があるのであれば区別なさったらよろしいと思います。『有効な反証がなされたかどうかを「論理的に証明」できないからってそれがなんなんですか?』とありますが、そもそも反証には実験データが必要なのにその実験が正しく行われた保証がどこにも無いわけです。それどころか実験が正しく行われていないという反証すらできない。実験データの科学的資格が怪しくなってきます。実験データは捏造かもしれません。捏造であるか否か証明、あるいは少なくとも反証しようと実験を再度行います……切りがないですね。なお、ニュートン力学は「否定」ではなく「修正」だとおっしゃられますが、同じことです。誤っていることには変わりありません。--spirituelle
2006年8月19日 (土) 09:50 (UTC)2006年8月19日 (土) 19:07 (UTC)かなり論理が甘かったので修正
- 区別する必要が無いから区別していません。現在の私にとって天動説もインテリジェントデザインも同等に役に立たない説ですから。これはあくまで私見ですのでウィキペディアの記事にするつもりはありませんが。NiKeさんにとって区別する必要があるのであれば区別なさったらよろしいと思います。『有効な反証がなされたかどうかを「論理的に証明」できないからってそれがなんなんですか?』とありますが、そもそも反証には実験データが必要なのにその実験が正しく行われた保証がどこにも無いわけです。それどころか実験が正しく行われていないという反証すらできない。実験データの科学的資格が怪しくなってきます。実験データは捏造かもしれません。捏造であるか否か証明、あるいは少なくとも反証しようと実験を再度行います……切りがないですね。なお、ニュートン力学は「否定」ではなく「修正」だとおっしゃられますが、同じことです。誤っていることには変わりありません。--spirituelle
-
-
- きちんと科学的方法に則って主張されたが反証されてしまった学説と、そもそも反証可能性を持たない偽科学の「学説」と、それらの区別をする必要がないとおっしゃる。そりゃまあ実生活ではそれでも問題無いでしょうが、科学について語ろうというのならばそれは許されない態度だと思いますね。
- 後半。「論理的に」証明はできなくても反証は有効です。確かに最後には『これが正しいと信じる』しかないのですが、現実には『この実験結果の方がより信用できる』『より多くのケースで成り立っているから、こちらの方がより確からしい』といったことが言えるわけです。そういった違い、厳密な論理と現実的な判断との違いは分かっておられるのでしょうか。『厳密には白ではないから、これは黒だ』とはならないですよね?
- おまけ。ニュートン力学は、適用範囲と結果の精度をわきまえれば「誤って」いません。 -- NiKe 2006年8月20日 (日) 01:28 (UTC)
-
-
-
-
- 確かに通時的、つまり科学史的には両者を区別する必要があるのは認めますし、もちろん異なるものとして認識しています。ただし共時的な議論をする上では、日常生活の上でも科学の議論の上でも、両者とも既に科学という名の競技場には存在しないわけで、競技場に入れないのに競技場に入りたがっている者を一括りにしてしまったところで非難する謂れは無いと思っています。両者を一括りにするのはそんなに許せないですか?
- さて、「確かに最後には『これが正しいと信じる』しかないのです」とありますが、これこそが私の主張です。私は「科学と疑似科学の明確な線引きは不可能」と一貫して主張しているわけです。私は「現実的な判断」を否定するつもりは毛頭ないですが、その判断を保証する明確かつ客観的な論拠はどこにも無いわけで、結局は「正しいものは正しい」という主張をしているに過ぎない。その点において、科学は疑似科学と明確に一線を画すことはできないのです。
- 科学の一つの目的としては、「この世界の原理を知る」というものが一つにあります。そして、地上界の摂理と天上界の摂理を一つの体系に統一したニュートン以来、「この世界を一つの統一理論で説明しよう」、言い換えれば「この世界の法則を全て演繹できる最も根源的な原理を見つけよう」という努力を未だに科学者は続けております。もちろん、適用範囲が限られている化学や生物学は、「この世界の原理を説明する」という意味では、一時的なものではありますが未だに大きな役割を果たしています。しかし、ニュートン力学は相対論や量子論から既に演繹がなされている近似定理でしかありませんので、「この世界の原理を知る」上でニュートン力学は既に用済みなわけであります。熱力学で既に統計力学で演繹されている部分に関しても同じです。
- ところが、科学のもう一つの目的として、「未来を予測する」というものもあります。例え熱力学が分子運動論を用いて演繹されうるとしても、カオス理論等の影響もあり、分子運動論で未来を予測できるとは限らない。例えできたとしても、ニュートン力学レベルのことを相対論や量子論を使って予測するのは全く以って無駄です。未来を予測する上では、ニュートン力学だって、熱力学だって、適用範囲と結果の精度さえわきまえてさえいれば依然として大きな役割を担っているわけです。誰も生命の起源などとは信じてはいない自然発生説であっても、日常生活における「食べカスを放っておけばカビが生えてくる」程度の未来予測には十分用いることができます。もっと言えば、この種の科学は「科学的」である必要すら無いのです。目的である未来の予測さえ間違いなくできていれば、どんな荒唐無稽な理論であっても価値があるわけです。そういう意味で、ニュートン力学は前者の科学としては誤っており、既に用は無い。ですが、後者の科学としては未だに現役であり、深く人類に貢献しているわけです。--spirituelle 2006年8月20日 (日) 16:46 (UTC)
-
-
[編集] 井戸端に提案趣旨説明を追加しました
真摯なご意見、ありがとうございました。私としては、あのようなご意見が聞きたかったのです。
さて、私の趣旨説明が不足しているように感じましたので、井戸端に、説明文を書いておきました[1]。結構削ったつもりだったのですが、大変な長文になってしまったことをお詫びします。お時間がありましたら、お読みいただければ幸いです。 ゆう(matunami) 2006年9月22日 (金) 22:45 (UTC)
- ご連絡ありがとうございます。意見を述べさせていただきました。--spirituelle 2006年9月23日 (土) 08:43 (UTC)
[編集] 駒場祭について
東京大学から駒場祭が分割されました。分割のやり方が間違っていたため、削除依頼に出しておりますが、分割することそのものに関して、私は明確な回答が出ていません。
駒場祭は旧制第一高等学校時代から続く日本でもかなり歴史の古い(日本一古いかどうかは私の手元に資料がないので不明)学生主体の文化祭です。しかし、東京大学を説明する上で欠かせない重要な要素であるのも事実です。入学試験のように社会的な影響力が大きく、さらに文量がかなり大きければそれを理由に分割することも可能なのですが、現在はテーマが一覧表になっているだけで実際の説明部分はそれほど大きくなく、テーマがたくさんあることに分割を推進しようとするとテーマ自体を全て載せるべきなのか、も議論となってしまうと思います。
そこで、私の中でも色々と考えが錯綜していて上手くまとまらないので冷静に判断頂ける方にぜひともご意見を頂戴したいと思っております。東京大学の記事を編集されている方にご意見を伺いたく、ノート:東京大学に検討を行うトピックを立てました。果たして分割をするべきであるのか、あるいは東京大学の記事の中でこのまま説明を続けるべきなのか、例えばテーマは削除してもう少し文量が増えたら分割するとか、あるいはこのままの状態で残した方がよい、とか、ぜひとも駒場祭の記述内容の再検討も含めてお手数ですが、ご意見を頂ければ幸いです。--秋の虹 2006年10月3日 (火) 15:10 (UTC)
- ご連絡ありがとうございます。分割に関してのみ意見を述べさせていただきました。テーマを載せるか否かに関してはまた時間が取れ次第ご意見させていただくかもしれません(私は「あって害がある内容でなければ載せればよろしい」という包摂主義者ですのでおそらくテーマの記載には賛成すると思いますが)。--spirituelle 2006年10月4日 (水) 16:05 (UTC)
[編集] 当方の編集について
Wikipedia:ウィキペディアは何でないかをリバートされましたが、あの項目の編集は合意が要るのでしたね。忘れていました…。お手数をお掛けし失礼しました。--目蒲東急之介 2006年11月18日 (土) 13:44 (UTC)
- わざわざマイトークに書き込みしてくださってありがとうございます^^ ノートに当該編集に関する是非について項目を立てましたので、議論にお付き合いいただけると幸いです。--spirituelle 2006年11月18日 (土) 13:56 (UTC)
[編集] 楽天証券の保護解除に関して
今日は。以前より保護されている楽天証券に関して、ノート:楽天証券にて保護解除を発議、記述内容の合意に関して発言しましたのでご連絡申し上げます。。賛否・ご意見ございましたらお願いします。--Huugo 2007年1月6日 (土) 07:05 (UTC)
[編集] 引き続き議論に参加なさって下さい。東武経験者 2007年3月20日 (火) 16:40 (UTC)
- ここに詳細を書くのは控えますが、Wikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物に私なりの提案を書き込んでおきました。是非ともご意見を頂戴したいのです。宜しくお願い申し上げます。東武経験者 2007年3月20日 (火) 16:40 (UTC)
-
- 有意義なご提案ありがとうございます。ぜひその方向でまとめるよう協力させていただけるとありがたいです。--spirituelle 2007年3月20日 (火) 17:08 (UTC)