かちどき橋
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かちどき橋(かちどきばし)は、新町川に架かる全長70.8m・幅員30m(8車線)の平面の橋である。北緯34度4分0秒東経134度33分25秒(世界測地系)、北緯34度3分48.1秒東経134度33分34.7秒(日本測地系)に位置し、徳島県徳島市のかちどき橋一丁目と中洲町一丁目(ひょうたん島)とを結ぶ。国道11号(吉野川バイパス)が通る。
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[編集] 概要
1930年4月に徳島県庁が現在の場所に移転したことに伴い渡船が設置されたが、交通が頻繁に途絶えたことから架橋が計画され、資材を商工省から調達しながら1941年4月に完成した。総工費は186,604円23銭であった。当時の幅員は12mで、2車線の車道と2本の歩道が設置されていた。
名称は、日中戦争において日本軍が連勝していたことに因んでおり、公募により決定された。当初の名称は勝鬨橋であったが、漢字が難しかったことから後に平仮名に書き改められた。なお周囲にある町名や交差点名は、当橋に由来する。
現在の当橋は、徳島本町交差点と並ぶ徳島県における交通の結節点であり、複数の国道の起点・終点となっている。そして、徳島県を南北に向かう交通が集中するために渋滞の発生が顕著である。制限速度は50km/hであるが、ラッシュ時の実際の旅行速度はそれには遙かに及ばない。当橋の北詰め(中洲町一丁目)における1999年の交通量は、75,409台/日であったという(道路交通サンセス)。
[編集] 歴史
[編集] かちどき橋一丁目~かちどき橋六丁目
町名としてのかちどき橋は、もとは富田浦町の一部であったが、当橋に因んで改名された。かちどき橋一丁目から、かちどき橋六丁目まである。郵便番号は770-0939である。
かちどき橋一丁目、及び、かちどき橋二丁目は、江戸期には東横町と呼ばれ、第二次大戦以前は住宅地であった。1945年7月4日には、空襲による戦災を受けた。かちどき橋三丁目以南は、徳島南バイパスが開通する以前には水田が広がっていた。
[編集] かちどき橋交差点
かちどき橋交差点は、当橋の南詰めから南方へ約100mの場所にある。当交差点は、青色LEDを開発した企業(日亜化学工業)が徳島県に本社を置いていることに加え、付近に県警本部が立地していることから、LED式信号機がいち早く設置された。道路標識における進行方向の表示については、下表のとおりである。
道路地図や標識においては、この交差点があたかも国道の起点・終点であるかのように示されているが、実際は当橋の南詰めにある交差点(角に阿波銀行かちどき橋支店)がそれである。なお当橋の南詰めは、国道11号及び国道55号の起点、国道28号(11号重複)及び国道195号(55号重複)の終点となっている。
方向 | 道路名 | 行先の地名 |
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↑北 | 国道11号(国道28号と重複) | 高松・鳴門・徳島道 |
→東 | 県道120号(旧国道55号) | 津田 |
↓南 | 国道55号(国道195号と重複) | 室戸・小松島 |
←西 | 県道136号 | 眉山 |