こどもの国 (横浜市)
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こどもの国(こどものくに)は、神奈川県横浜市青葉区奈良町700番地(敷地の一部は東京都町田市三輪町)に所在する、社会福祉法人こどもの国協会が運営する遊園地。シンボルマークは5色に塗られた「かざぐるま」。
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[編集] 概要
戦時中は、旧・日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(東京陸軍兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であった。敗戦後は田奈弾薬庫として米軍に接収されるが、後に返還された。1959年に皇太子(2006年現在の今上天皇)の成婚を記念して、施設跡地を国費と民間からの寄贈などにより整備し開園した。
園内には多数の施設があり、自然の中で、動物との触れ合い、冒険、体験したり、作ってみるといった素朴な味わいの遊び体験を重視している。そのため園内には、基本的に観覧車やジェットコースターのような大型の電動の遊具はない。例外として、太陽光発電で動くミニSLが敷設されている。また、デイキャンプやマラソン大会など、周辺の学校の行事にも利用されている。
園名や開園日にちなみ、5月5日のこどもの日には中学生以下の入園料が無料となる。
なお、園内へのアルコール類の持ち込みは禁止されている。
[編集] 沿革
- 1961年(昭和36年)5月5日:旧日本軍田奈弾薬庫(アメリカ第八軍司令部火薬廠)が米軍より返還される。
- 1962年(昭和37年):起工式。
- 1965年(昭和40年)5月5日:田奈弾薬庫跡地に「こどもの国」開園。
- 1966年(昭和41年):「こどもの国協会法」に基づき特殊法人こどもの国協会が設置される。
- 1967年(昭和42年)4月28日:来園客の輸送を目的とする鉄道「こどもの国線」が開業。
- 施設はこどもの国協会が保有、東京急行電鉄がこれを借り受けて運営。
- 1972年(昭和47年):皇太子記念館完成。
- 1981年(昭和56年):特殊法人こどもの国協会が解散。社会福祉法人こどもの国協会による運営となる。
- 1997年(平成9年)8月1日:「こどもの国」線の第3種鉄道事業免許を横浜高速鉄道に譲渡。
- 周辺地域の宅地開発の進展に伴い、来園客輸送路線であった「こどもの国線」を通勤線へ転換することが決まったが、通勤線化した同線を保有することが社会福祉法人としての目的から逸脱する恐れがあったため。
- 2005年(平成17年):開園40周年を迎える。安達とう子の講演会が4月2日に行われたほか、6月9日には今上天皇と美智子皇后の訪問を受ける。
[編集] 施設
約100ヘクタールの広大な敷地に、多摩丘陵の自然を生かした施設などがある。 園内の牧場で飼育している乳牛からとった牛乳を使って作ったソフトクリームと特別牛乳「サングリーン」がこどもの国の名物である。
- 自然研修センター
団体での宿泊利用可。 - バーベキュー場
※ ここで購入した缶ビールをバーベキュー場内で飲むことは許されている(酒類の園内持ち込み及び場外での飲酒は禁止)。 - 白鳥湖
貸しボート・貸しいかだがある。 - つばきの森
資生堂が安達潮花氏のコレクションを買い取り寄贈。 - 皇太子記念館
客席数420席のホールで、音楽発表会や式典に使用されている。 - 遊具広場
ここを含む園内の遊具類は主に日本宝くじ協会が寄贈。 - ミルクプラント
牧場やミルクプラントは雪印乳業が寄贈。
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[編集] 弾薬庫遺構
かつての弾薬庫は終戦後「こどもの国」開園までにほとんどが埋められたり、電気設備等の園内施設に転用されたりした。敷地内に弾薬庫は33ヶ所あったといわれ、現在でも残る遺構によりかつてここに弾薬庫があったことを知ることができる。 現在、弾薬庫の内部には原則として立ち入り禁止となっているが、一般公開されたことがあった。
入口ゲート近くには、かつて学徒動員された女学生らによって立てられた「平和の碑」が立っている。また、こどもの国付近にある住吉神社のそばには、学徒動員による移動の際に川へ転落し亡くなった男子学生らの慰霊碑が立っている。
園内通路には弾薬庫時代に旧・日本国有鉄道(国鉄)横浜線長津田駅より引かれた引込み線のトンネルが利用されている。また、引込み線の一部経路は横浜高速鉄道こどもの国線として現在も利用されている。ただし、こどもの国線にはかつての軍用線の痕跡は現在、ほとんど残っていない。
[編集] アクセス
自家用車や貸切バスでの来園者のために正門前駐車場と牧場付近の臨時駐車場があるが、休日(とくにゴールデンウィーク期間中など)は駐車場が混雑し周辺の道路も渋滞するため、できるだけ公共交通機関を利用することが推奨される。