ウィニペグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィニペグの風景 | |
![]() (写真:ウィニペグ市街) |
|
位置 | |
![]() |
|
市のシンボル | |
モットー | Unum Cum Virtute Multorum (One With the Strength of Many) |
基礎データ | |
国 | ![]() |
州 | ![]() |
都市名 | ウィニペグ (英:City of Winnpeg) |
創設日 | 1738年 |
緯度 経度 |
北緯 49度54分 西経 97度08分 |
標高 | 海抜 238 m |
面積 | 465.16 km² 4,151.48 km² (広域圏) |
人口 - 都市 - 広域圏 |
(2001年) 619,544 人(国内6位) 671,274 人(国内9位) |
時間帯 | 中部標準時(CST)、UTC-6 中部夏時間(CDT)、UTC-5 |
市外局番 | +1-204 |
公式サイト | www.winnipeg.ca |
ウィニペグ(英: Winnipeg)は、マニトバ州の州都である。人口は61万9,544人(2001年統計)。広域圏の人口では70万6,900人(2005年推計)。東部カナダと西部カナダを結ぶ起点であり、地理的な重要性から交易の場として栄えた。マニトバ州の半分以上の人口がウィニペグに在住している。カナダの小麦生産地帯の中核都市であり、農産物の流通の中心でもある。時間帯は中部標準時(CMT)を採用している。ウィニペグに住む人たちは通称「Winnipegger (ウィニペガー)」と呼ばれている。
目次 |
[編集] 歴史
- もともとはネイティヴアメリカンが住み、カヌーを移動手段として狩猟採集による生活をしていたが、1738年に初めて交易所がフランス系の会社によって建設されると、それ以降多くの民族が移住してきた。そのため1869年から、Louis Riel(ルイ・リエル)率いるメチスと東部カナダからの新居者との間に Red River Rebellion (レッドリバー一揆)が勃発した。その後もウィニペグはカナダ国内ではオンタリオ州と共に、最も多くのネイティブアメリカンが生活する都市となっている。
- 1900年代初頭は経済成長が著しく、カナダ国内でも三番目の成長率を誇っていたが、1970年代に差し掛かるとその成長率にも陰りが見え始め、カルガリーやエドモントンの後塵を喫し、2005年にはカナダでは6番目の市に後退した。
- 1900年後半から2000年初頭にかけては経済格差が顕著となり、貧困層がダウンタウンから北部にかけて居住し、富裕層は Tuxedo(タキシード)エリアや郊外にかけて居住している。
[編集] 人口統計
- 白人: 78.0%
- ネィティブ: 8.6%
- フィリピン人: 4.9%
- 東南アジア: 2.0%
- 黒人: 1.8%
- 中国人: 1.8%
-
- ウクライナ系、スコットランド系、フランス系の移民も数多くいる。ダウンタウン周辺から北部にかけてはネィティブ・カナディアンが多く住んでいる。これは歴史的な背景と経済格差が主な理由である。
- 移民たちは基本的に同じ民族の多く住むエリアに移住・生活することが多く、市内でもフランス系の地区、イタリア系の地区、フィリピン系の地区などが見られる。
[編集] 交通
ウィニペグ・トランジット(Winnipeg Transit[1])のバスが市内全域を走っている。大人一般は2ドルで一時間半乗ることができるが、乗り継ぎなどを利用すれば3時間ほどで市内を一周することも可能である。カナダの他の各都市への移動はVIA鉄道[2]や、グレイハウンド(長距離バス)などがある。
[編集] 空港
ウィニペグ国際空港(Winnipeg International Airport, IATA空港コード: YWG) - マニトバ州内唯一の国際空港である。
[編集] 行政
市長はサム・ケイツ(カッツとも)。
[編集] 教育
[編集] 大学
- マニトバ大学 (University of Manitoba)- 学生数2万人を超しマニトバ州内で最も大きい大学。國學院大學、相模女子大学などが提携を結んでおり、毎年多くの日本人学生が訪れている。毎年、低評価を下されるため、2007年度より、後述のマクレーン誌の大学満足度調査を断っている。
- ウィニペグ大学 (University of Winnipeg) - マニトバ大学と比較すると小規模な大学であるが、マクレーン誌の発表する CUSC(カナダ人学生の大学満足度調査)では毎年上位にランクされており、[3] 2006年度の調査ではオンタリオ州の Nipissing 大学に続いて2位であった。
[編集] カレッジ
- レッドリバー・カレッジ (Red River College)
[編集] ESL
- ウィニペグ大学、マニトバ大学共に大学付属のESL(語学学校)があり、それぞれの大学進学を目的とした海外留学生や各国大学の海外留学プログラムによって派遣された若い留学生たちがいる。また、レッドリバー・カレッジやその他民間の経営するESLも市内にはいくつか存在する。
- 移民にはウィニペグ市が無料で英語教育プログラムを開講している。
[編集] スポーツ
- 市民が最も好んで参加するスポーツといえばホッケーであり、老若男女問わずに幅広い人々たちに愛されている。また「ホッケーの出来ない子供は学校で友達ができない」と言われるほどの熱狂ぶりである。インラインスケートを履いて行うスポンジホッケーというスポーツも行われている。
- アイスホッケーはかつてNHLのチームでもあった Winnipeg Jets はなくなり、現在はマイナーリーグの Manitoba Moose のみになっているが多くの地元ファンがいる。街中の至る所でホッケーチームジャケットを着ている人たちを見かけることができる。
- フットボールはCFLに所属する Winnipeg Blue Bombers [4]という地元チームがあり人気がある。「ボンバーズ」と誤って発音されることもあるが「ボマーズ」に近い発音が正しい。
- 野球は独立リーグだが Winnipeg Goldeyes という地元チームがある。
[編集] ウィニペグ出身の著名人
- くまのプーさん - "Winnie the Pooh"
- テリー・フォックス (Terry Fox)
- 1977年に癌による病気により右足膝下を失う。22歳の1980年、自分の病気の研究費用を集めるために右足は義足ながらも、その足でカナダ横断を試みた。1日約42 kmのペースで、合計143日間、 5,373 km 走り、その期間カナダ国民一人一人に1ドルずつの募金を募った。病気の進行により目的地までたどり着くことはできなかったが 36億カナダドル(3700億円)を集めることに成功した。カナダの国民的英雄として尊敬されている。
- レミー・シャンド: ミュージシャン
- アンナ・パキン: 女優
- デイヴィッド・ライマー
- ニア・ヴァル ダロス: 女優、コメディアン
- Weird Sisters: ミュージシャン
[編集] トリビア
- モスキート (蚊)が夏場に大量発生する。湖岸では夕方になると蚊の羽ばたく音が合唱になって聞こえるほどである。州鳥は「蚊」であると多くのウィニペガーが認めている。
- 冬季には体感気温 -55度にまで冷え込むが、夏季には35度以上の熱帯夜にもなり、これほど一年を通して温暖の差が激しい街はなかなか見当たらない。
[編集] 姉妹都市
[編集] 外部リンク
- ウィニペク市公式サイト (英、仏)
- ウィニペグ市観光局公式サイト (英、仏)