ウンベルト2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウンベルト2世(Umberto II, 1904年9月15日 - 1983年3月18日)はイタリア王国最後の国王(在位:1946年)。第二次世界大戦後、国民投票により廃位され、国外追放となり、サヴォイア家のイタリア王国は終焉を迎えた。
目次 |
[編集] プロフィール
[編集] 王太子
1904年9月15日、イタリアのラッコニージで、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世と王妃エレナのただ1人の王子として誕生する。少年時代から軍人教育を受け、サルデーニャ近衛歩兵第一連隊の少尉に任官、軍務に就く。スポーツマンとして評判が高く、ムッソリーニは、王太子であったウンベルトを取り込んで、ファシスト党体制と、ナチス・ドイツとの同盟がイタリア王室から支持されていると、国民に宣伝することに余念がなかった。1930年、ベルギー王女マリーア・ジョゼ(父はベルギー王アルベール1世)と結婚、マリーア・ベアトリーチェ、マリーア・ガブリエラ、マリーア・ピアの3王女、ナポリ公ヴィットリオ・エマヌエーレの1王子をもうけた。
[編集] 即位と退位
第二次世界大戦後の1946年5月9日、父王の退位によりイタリア国王に即位する。敗戦を受けてウンベルト2世は、イギリスの『タイムズ』誌に声明を掲載し、イタリア王室がムッソリーニの独裁政治とは無縁であったと弁明するが、戦後の国家体制をめぐり、6月2日にイタリアで行われた国民投票では、カトリック教会が中立を表明し、王政を積極的に支持することを控えたため、54%の僅差(君主制の伝統が長い南イタリアでは圧倒的に王制支持であったが、逆に自治都市の伝統が強かった北イタリアでは王制支持が弱かった)で王制廃止、共和制移行が決定した。
[編集] 亡命
ウンベルト2世は即位後わずか5週間後の6月14日にイタリアを去り、主にポルトガルで亡命生活に入る。新たに制定されたイタリア共和国憲法では、ウンベルト2世およびその直系男子のイタリア再入国を禁止する条項が制定されたため、イタリアには終生帰国できなかった。サヴォイア家直系男子のイタリア入国・選挙権などが再び認められるようになったのは2002年10月23日のことである。
[編集] その後のサヴォイア家
憲法が改正された後、2003年に息子のヴィットーリオ・エマヌエーレが亡命先のスイスより帰国。しかし、2006年6月16日、ゲーム機や売春等を行うマフィアがらみの犯罪組織に深く関与したとして、イタリア捜査当局により逮捕された。その組織にはフィーニ前外相の側近も含まれていた、と報道されている。
[編集] 関連項目
|
|
|