ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ
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ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ(Gyanendra Bir Bikram Shah Dev, 1947年7月7日 - )はネパールの国王(在位2001年6月4日 -)。第9代国王マヘンドラの次男。
1950年11月、祖父トリブバン国王が父や兄を連れてインドへ亡命。取り残されたギャネンドラはラナ将軍家によって国王に祭り上げられる。しかしインドなどがこの即位を認めず、トリブバン国王が翌年2月に帰国、復位した(ネパールの王政復古)。
2001年6月1日、ネパール王族殺害事件で兄ビレンドラ国王が死去。ディペンドラ皇太子が意識不明のまま国王に即位し、地方にいて難を逃れたギャネンドラは摂政となった。6月4日、ディペンドラが死去したため即位した。ギャネンドラが事件当日不在だったことや、ギャネンドラの家族が事件現場にいたにもかかわらず全員無事だったことなどから、事件はギャネンドラの陰謀だったと考える国民は少なくない。ビレンドラ国王が民主化を推進した際に強硬に反対したとされるギャネンドラはもともと国民に不人気で、長男のパラス皇太子も麻薬常習者との噂があったりひき逃げ事件を起こしたりするなどして国民に嫌われていることもその一因と思われる。
同事件の真相について地元では、「親印派の王弟ギャネンドラがアメリカ・インドの後押しを受けて、親中派のビレンドラ国王・ディペンドラ皇太子らを抹殺した宮廷クーデター」との見方もあったが、直接統治後にはインド敵視政策、中国からの武器購入、チベット難民事務所閉鎖・追放などチベット独立派の弾圧を行った。
2002年5月下院を解散、同年10月デウバ首相を解任し、その後は親王室派のチャンド首相、タパ首相を任命して事実上の直接統治を行う。2004年6月、国王の行動に対する抗議デモが強まったことを受けてデウバ首相を再び任命するが、2005年2月、首相と全閣僚を解任し、直接統治を宣言した。
この国王の行動に対してネパールの主要7政党は各地で抗議デモを展開、緊迫した情勢が続いていたが、国際社会の圧力を受けて国王は2006年4月21日、直接統治を断念して国民に権力を返還することを発表し、7政党に首相推薦を要請した。しかし、政党側は国王が新憲法制定など政党側の要求に言及していないなどとしてデモを継続。国王は4月24日、解散した下院議会を復活すると表明、政党側もこれを受け入れ、混乱は収拾されることになった。政党側はネパール会議派のギリジャ・プラサド・コイララ元首相を首相に推薦、4月27日、新政権が発足した。
2007年1月15日、ネパール会議派、ネパール共産党毛沢東主義派などが参加する議会により、暫定憲法が制定され、国王の政治的権力は、ほぼ完全に剥奪された。これにより、ネパールの王族支配は終結した。
国王即位前に5回訪日している。
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