クリス・ベノワ
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クリス・ベノワ | |
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プロフィール | |
リングネーム | クリス・ベノワ ワイルド・ペガサス ペガサス・キッド ダイナマイト・クリス クリス・ベノイ |
本名 | クリストファー・マイケル・ベノワ |
ニックネーム | 凶獣 |
身長 | 180㎝ |
体重 | 100kg |
誕生日 | 1967年5月21日 |
出身地 | カナダケベック州 |
所属 | WWE |
クリス・ベノワ(Chris Benoit 、1967年5月21日 - )は米国WWEプロレスに所属するプロレスラーである。「クリップラー(The Crippler)」「歯無き攻撃性(toothless aggression)」「凶獣 (the rabid wolverine)」などのあだ名を持つ。最近は「最も尊敬されるレスラー」と言われる。
本名、クリストファー・マイケル・ベノワ(Christopher Michael Benoit)で“Benoit”はベンワーとも発音する。カナダケベック州の生まれでアルバータ州エドモントンにて育つ。現在はジョージア州アトランタ在住。体格はほかのレスラーと比べて小柄(公式プロフィールでも180㎝、100kg)だが、スーパーヘビー級のレスラーにも負けないパワーの持ち主である。
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[編集] 経歴
ダイナマイト・キッドに憧れプロレスラーを志し、カナダのハート・ダンジョンでスチュ・ハートにより鍛えられる。1986年1月にデビュー、1987年に初来日して新日本道場の訓練生にもなった。当初はスペルをそのままローマ字読みしたクリス・ベノイの名で呼ばれたが、新日からダイナマイト・クリスというリングネームを与えられた。しかし本人はダイナマイトの名を冠するには自分は未熟だとして、その後覆面を被りペガサスキッドというリングネームにて新日本プロレスに参戦する。後に獣神サンダー・ライガーに敗れ覆面を取る。1993年TOP OF THE SUPER Jr.優勝を機にワイルドペガサスに改名。獣神サンダー・ライガーやエル・サムライ、金本浩二、大谷晋二郎、2代目ブラックタイガー(故エディ・ゲレロ)らと激闘を繰り広げた。1990年にはIWGPジュニア・ヘビー級王座獲得、1994年にはSUPER J-CUP 1st STAGE優勝、SUPER Jr. TAG優勝、1995年にはBEST OF SUPER Jr.優勝など、新日本ジュニアヘビー級のトップ外国人として活躍した。
1995年には本拠地をアメリカに移し、ゲレロやディーン・マレンコらとECW(Extreme Championship Wrestling)に参戦。米国では珍しい日本仕込みのテクニックでマニア層のファンから高い支持を受ける。サブゥーとの試合中、フラップジャックの失敗からサブゥーの首を折ってしまって以来“クリップラー”(壊し屋・破壊者)という異名をECWプロデューサーのポール・ヘイマンに与えられる。しかしヘイマンがベノワの就労ビザを一向に取ろうとせず、国外退去を避けるために1996年、親友のゲレロ、マレンコと共にWCWに移籍した。
[編集] WCW
WCWでは波乱の人生を送っていた。彼はさまざまなレスラーと戦っては勝っていたものの、政治的なことを嫌いnWoなどメインストリームには乗らず、ベノワは雌伏をした。この頃ケビン・サリバン夫人であった女子マネージャーのウーマンと恋仲になり、事実上略奪婚をしている。サリバンとはこの不倫騒動の最中にストーリー上でも抗争を行っていた。その後、1999年に再び本格的な表舞台に立ち、US王座、テレビジョン王座などさまざまなWCWのタイトルを獲得している。また、リック・フレアーのユニット、フォー・ホースメンのメンバーの一員でもあった。WCWを見限ってWWFへの移籍を決意し、2000年1月16日、王者決定トーナメントを制しWCW世界ヘビー級王座を手にするも翌日に返上してWWEに移籍した。
[編集] WWE/WWF
WWFでは共にWCWから移籍したエディ・ゲレロ、ペリー・サタン、ディーン・マレンコとラディカルズを結成、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、ザ・ロック、カート・アングルらと抗争を繰り広げる。2001年にはかつての戦友であった、クリス・ジェリコとともにWWF世界タッグ王座を制している。しかし長年の負担によって首を骨折し、同年5月から一年以上欠場した。2002年7月の復帰後は早々にIC王座を獲得、当初はRAWに所属していたが、スマックダウンGMだったステファニー・マクマホンによって引き抜かれ移籍。10月にはWWEにおける最大のライバルでもあったカート・アングルとのコンビで初代WWEタッグ王者に付いた。
王座陥落後しばらくは便利屋のようなポジションに戻ってしまったが、2003年冬から再びアングルやブロック・レスナーらトップグループとの抗争が組まれ、2004年のRoyal Rumble 2004でのロイヤルランブル・マッチでショーン・マイケルズ(1995年)以来史上二人目となる一番手出場での優勝を達成し、レッスルマニアでの王座挑戦権を獲得。スマックダウンGMのポール・ヘイマンによってWWE王座への挑戦権は永遠に奪われていた(という設定。今後撤回される可能性は高い)ため、世界ヘビー級王座への挑戦を選択。WrestleMania XXメインイベントにて念願の世界ヘビー級王座を獲得。同年のサマースラムで、ランディ・オートンを相手にベルトを手放してしまった。
2005年に行われたECW ワン・ナイト・スタンドに出場。また同年のドラフトによりSmackdown!へ移籍した。スマックダウンに移籍後、オーランド・ジョーダンからUS王座を獲得。その後ブッカー・Tに敗れて王座を失い、王座をかけてブッカー・Tと7番勝負で抗争した。なお、ブッカーとはWCW時代にもデーブ・フィンレーが保持していたWCW・TV王座挑戦権を賭けて7番勝負を行っている。結局2006年No Way Outで王座を取り戻すものの、WrestleMania 22でのUS王座戦でJBLに敗れて王座を明け渡した。 5月26日のマーク・ヘンリー戦を最後に肩の怪我と「家族と過ごす時間が欲しい」等の理由から半年近くに渡り欠場をしていたが、10月8日のPPV「NO MERCY」で突如復帰。ウィリアム・リーガルとレスリング戦を展開した。 10月13日のSmackDown!では、ケン・ケネディを破り再びUS王座を奪回した。現在ではチャボ・ゲレロと抗争中。 年が明け、チャボとの抗争が終わってからはテーマ性の無い試合が続いたが、4月1日に開催されたWrestleMania 23では大型新人のMVPとUS王座を賭け対決。ダイビングヘッドバットでフォール勝ちを収めた。
[編集] 必殺技
- 尊敬するブレット・ハートの必殺技であり、この技で試合を決める事もある。
- ドラゴンスープレックス
- WWEでは技の規定が厳しいため滅多に使用しないが、新日時代のフィニッシュムーブの一つ。
- ダイビング・ヘッドバッド
- トップロープに上る前に必ず首をかっ切るポーズを取る。この技を繰り出すと実況担当のJRは必ず「ダイナマイト・キッドばり!」とアナウンスする。
- ジャーマン・スープレックス(ベノワは3連発が多い。時にはそれ以上も)
- スナップ・スープレックス(高速ブレーンバスター)
- これもダイナマイト・キッドが得意としていた技。
[編集] タイトル履歴
- WWE
- 世界ヘビー級王座:1回
- IC王座:4回
- 世界タッグ王座:3回(&エッジ:2回)(&クリス・ジェリコ:1回)
- WWEタッグ王座:1回(&カート・アングル:1回)
- UWA世界ライトヘビー級王座:1回
- 2004年ロイヤルランブル優勝
- US王座:5回
- WCW
- 世界ヘビー級王座:1回
- US王座:2回
- テレビジョン王座:3回
- 世界タッグ王座:2回(&ディーン・マレンコ:1回)(ペリー・サターン:1回)
- 世界タッグ王座:1回(&ディーン・マレンコ:1回)
- 新日本プロレス
- IWGPジュニアヘビー級王座 : 1回
- 1994年スーパー・J・カップ優勝
- その他
- スタンピード・ブリティッシュ・コモンウェルス・ミッドヘビー級王座:4回
- スタンピード・インターナショナルタッグ王座:4回
(&ベン・バサラ:1回)(&キース・ハート:1回)(&ランス・アイドル:1回)(&ビフ・ウェリントン:1回)
[編集] リングネーム
クリス・ベノワが使用したリングネーム
- ペガサスキッド(覆面レスラー)
- ワイルドペガサス
- クリス・ベノワ(現在)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: カナダのプロレスラー | WWE | 新日本プロレス | 1967年生