グレート義太夫
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グレート義太夫(ぐれーとぎだゆう、本名:鈴木正之(すずきまさゆき)。1958年12月26日 - )は、東京都板橋区出身のお笑いタレント兼ミュージシャンである。血液型はB型。京華高等学校卒業、亜細亜大学中退。
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[編集] プロフィール
大学時代、音楽系サークルでドラマーとして活動してるうちに、プロミュージシャンを目指す。バンド“雷神”を組み、アマチュア活動をしていた。オールナイトニッポンのリスナーであった義太夫は、ビートたけしのファンとなり、弟子志願をするが、その際、ドラムが特技であることを披歴し、当時のたけしのバックバンドシークレット・ポリスに加入させる事にした。しかし、実際には先にレギュラーメンバーのドラマーがいたため、パーカッションとして参加。その後、たけし軍団が 8 人編成から 10 人編成へ移行する際、井手らっきょとともにたけし軍団に正式加入。ただし、特徴のあるキャラクターからか、実際には 10 人編成の時期より以前に、ひょうきん族や一連のバラエティ黄金期の番組に既に出演していた。 名前の由来は、当時プロレスで“毒霧”を吹く謎のレスラーザ・グレート・カブキを揶揄して、風貌が太った体型でだらりとした長髪であった事も共通していたため、“歌舞伎”を“義太夫”と洒落て命名。(2006年現在はかなりやせてひょうきん族時代の風貌とはがらりと変わった。)
シークレット・ポリス時代は、名曲「浅草キッド」の作曲時に、ビートたけしにアドバイザーとして関わり、また、ライブアルバム野戦病院~ビートたけし&たけし軍団ライブ(1985年7月5日発売)収録の名曲“バラード”の作詞作曲を行っており、陰のビートたけしの音楽ブレーンとしての存在面があった。
その後、たけし軍団のメンバーとなり、たけしとともに雑誌社フライデー襲撃事件にも参加した。その際、消火器を持って大暴れし、「たけし軍団の弁慶」とネタにされた。
オフィス北野に所属し、かなりの猫好きである。元 小結の國登國生は叔父にあたる。
ミュージシャン活動としては 1992年に師匠ビートたけしと宮沢りえが競演したエースコック・スーパーカップの CM ソングの作詞、作曲を担当した。その他にも細川ふみえ『ポチにやつあたり』、中條かな子『ことばさがして』、日高のり子『十年後の私』等を作曲した。また、「亀有ブラザース」では演奏を担当した。
近年は蜷川幸雄演出作品の常連。コメディ・リリーフとして重宝されている。2006年、タイタス・アンドロニカスの再演では、イギリスのロイヤル・シェイクスピア・シアターでの公演も経験。道化役を熱演す、観客の爆笑を取っていた。
事務所の後輩マキタスポーツのバンドマキタ学級のサポートギタリストでもあり、そのブルージィなギターサウンドは ファンも多い。10月7日リリースの「金もうけ」では、スケジュールの関係でレコーディングにあまり参加出来ず、コーラスと「NEWS」という曲のギターのみとなっている。
[編集] 出演作品
[編集] テレビ番組
- 足立区のたけし、世界の北野(フジテレビ)
- 子連れ狼 (北大路欣也版)(テレビ朝日)
- 北野タレント名鑑(フジテレビ)
- オレたちひょうきん族(フジテレビ)
- 風雲!たけし城(TBS)
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(日本テレビ)
- 警視庁女性捜査班
[編集] ラジオ番組
[編集] 映画
[編集] 舞台
- 四季・夏(演出・山崎 哲)
- 真情あふるる軽薄さ2001(演出・蜷川幸雄)
- ハムレット(演出・蜷川幸雄)
- タイタス・アンドロニカス(演出・蜷川幸雄)
- ロミオとジュリエット(演出・蜷川幸雄)
- 天保十二年のシェイクスピア(演出・蜷川幸雄)
- タイタス・アンドロニカス (再演 イギリス公演)(演出・蜷川幸雄)