コヘレトの言葉
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ユダヤ教、プロテスタント、カトリック教会、東方教会、東方正教会ほか |
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コヘレトの言葉はヘブライ聖書の一書で、知恵文学といわれるジャンルに属する教訓集。「伝道の書」とも呼ばれる。ユダヤ教では「諸書」に分類される。著者はダビデの子コヘレトを名乗っている。全12章と短い書だが、よく知られた言葉が多い。人間の生の空しさを悟った著者は神への畏れにすべては帰結すると結論する。(以下の引用はすべて『新共同訳聖書』による)
[編集] 有名な語句
- 「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」(1:2)
- 「太陽の下に益となるものは何もない」(2:11)
- 「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められたときがある」(3:1)
- 「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」(12:1)
- 「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。」(4:9)
[編集] コヘレト
伝統的にはコヘレトとはソロモン王であると称されているが、実際にソロモン王がいた当時のヘブライ語とコヘレトの言葉におけるヘブライ語の差異から、史実性は疑わしい。コヘレトとはヘブライ語のqahal(「集める」という意味の動詞、または「会衆」という意味の名詞)から来た言葉とされている。このコヘレトという言葉はこの書以外に用例がない。よって、コヘレトとは固有名詞であると解されるが、同時に、会衆に向けて語られた言葉、あるいは会衆の中の言葉を集めたもの、とも訳されうる。
[編集] 空
作中に繰り返し出てくる「空」という言葉は、ヘブライ語でhebel、元来は「息」を表す名詞である。故に、仏教思想の「空」とも意味合いを異にする。一般的には、「息のように掴み所の無いもの」から転じて「空しい」と訳されている。
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