サニーブライアン
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1994年4月23日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | ブライアンズタイム |
母 | サニースイフト |
生産 | 村下ファーム |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 宮崎守保 |
調教師 | 中尾銑治(美浦) |
競走成績 | 10戦4勝 |
獲得賞金 | 3億4030万6000円 |
サニーブライアンは日本の競走馬。1997年の皐月賞と東京優駿(日本ダービー)を制した二冠馬で、同年のJRA賞で最優秀4歳牡馬に選出された。全レースで大西直宏が騎乗した。母の全兄に東京優駿(日本ダービー)2着のサニースワロー(この時の騎手も大西)がいる。
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[編集] 現役時代
1996年10月5日に東京競馬場(芝1800m)3番人気でデビュー。同レースにはウイニングチケットの全妹のスカラシップが居たが、スタートから先頭に立ち、逃げ切りで勝利を飾った。その後500万下の百日草特別で5着、続くGIII府中3歳ステークスに出走し、スピードワールドに次ぐ2番人気に押されたが既に小倉3歳ステークスを勝っていたゴッドスピードに敗れた。
その後、500万下条件のレースを2度使うも勝つことが出来ず、2勝目をあげたのは6戦目の中山芝2000メートルのオープン特別・ジュニアカップ。スタートから先頭に立ち、スローペースに落としそのままゴールし、オープン馬となる。次走のGII弥生賞でランニングゲイルの3着に入りGI皐月賞の優先出走権を得る。太りやすい体質であったサニーブライアンは皐月賞の優先出走権を既に持ちながら、中2週で皐月賞トライアルである若葉ステークス(皐月賞指定オープン)に出走。同レースで生涯最初で最後の1番人気となる。結果は逃げることが出来ず、シルクライトニングの4着に敗れる。この敗戦により皐月賞では人気を格段に落とすこととなる。
9戦目の皐月賞では11番人気、大外18番枠。スタートがあまり良くない馬のため、大西直宏は外から包まれない大外を事前に望んでおり、正に思惑通りとなった。スタートこそ掛かり気味に飛ばすテイエムキングオーにハナを奪われたが、第2コーナー辺りから先頭に立ち、そのまま2着のシルクライトニングをクビ差振り切り見事勝利を飾った。同レースの上位人気馬メジロブライトやランニングゲイルが後方一気の脚質のため、サニーブライアンの勝利は後方待機馬が牽制しあい、また不利を受けた事によるフロックというのが大方の見方であった。カツトップエースの再来とも呼ばれたが、結果その後二冠馬となり、東京優駿(日本ダービー)が最終出走となる点まで一致するとはまだ誰も知る由は無かった。
GI東京優駿(日本ダービー)の前にもプリンシパルステークス(オープン特別)出走を予定していたが、調教中未勝利馬に蹴られて外傷を負ったため同レースを回避し、東京優駿(日本ダービー)へ直行することになった。外傷により調整に不安が持たれたのか、皐月賞の勝利がフロックと思われたのか東京優駿(日本ダービー)でも6番人気(シルクライトニングが競走除外のため実際には7番人気)と相変わらず低評価であった。枠は皐月賞と同じ18番で、再度大外枠を希望していた大西直宏は自身が枠番抽選で大外18番を引いた時に震え、勝利を確信したという。レース前に同騎手が「1番人気はいらない。1着がほしい」と語ったことは有名。またレース前から同騎手は「逃げ宣言」を繰り返した。「もし先手を奪いに行っても、サニーブライアンは絶対に退かない。それでは共倒れになると思った。」レース後そのように答えた上村洋行騎手騎乗のサイレンススズカらが控えたことで、レースではスタートから先頭に立ち、単騎逃げの体勢を作ることに成功した。この事態に「おのおの方、油断めさるな、逃げているのは皐月賞馬だ」と杉本清アナウンサーが実況したことは有名。そして東京競馬場の長い直線を駆け抜け、スタートから一度も先頭を譲ることなく2着のシルクジャスティスら後方一気集団を1馬身抑えて、2分25秒9・上がり3F:35秒1という優秀なタイムでクラシック二冠を制した。この馬の勝利がフロックではなく、実力である事を証明した。勝利騎手インタビューで大西直宏は再度、菊花賞でも逃げて三冠を目指すことを宣言した。
しかしその後、レース中に骨折していることが判明し、三冠の夢は断念。翌年のGI天皇賞(春)に目標を切り替え骨折が完治後調教を行ったが、今度は屈腱炎を発症。そのまま引退し、種牡馬となった。
[編集] 競走成績
年月日 | レース名 | オッズ | 着順 | 距離 | タイム(上り) | 着差 | 騎手 | 勝ち馬/(2着馬) | |||
1996 | 10. | 5 | 東京 | 3歳新馬 | 5.2(3人) | 1着 | 芝1800(良) | 1:50.4(35.2) | 2 1/2 | 大西直宏 | (スカラシップ) |
11. | 2 | 東京 | 百日草特別 | 3.5(2人) | 5着 | 芝1800(重) | 1:50.3(38.4) | -0.9秒 | 大西直宏 | クリスザブレイヴ | |
11. | 17 | 東京 | 府中3歳S(GIII) | 7.4(2人) | 7着 | 芝1800(良) | 1:50.6(36.4) | -0.9秒 | 大西直宏 | ゴッドスピード | |
12. | 15 | 中山 | ひいらぎ賞 | 14.5(3人) | 5着 | 芝1600(良) | 1:37.0(37.0) | -0.8秒 | 大西直宏 | スピードワールド | |
1997 | 1. | 6 | 中山 | 若竹賞 | 5.7(4人) | 2着 | 芝2000(重) | 2:04.7(38.4) | -3/4馬身 | 大西直宏 | ファンネルマーク |
1. | 18 | 中山 | ジュニアカップ | 5.2(4人) | 1着 | 芝2000(良) | 2:03.7(36.5) | 1/2馬身 | 大西直宏 | (トキオエクセレント) | |
3. | 2 | 中山 | 弥生賞(GII) | 15.5(5人) | 3着 | 芝2000(良) | 2:03.3(36.9) | -1.1秒 | 大西直宏 | ランニングゲイル | |
3. | 22 | 中山 | 若葉S | 3.5(1人) | 4着 | 芝2000(重) | 2:04.3(38.5) | -0.4秒 | 大西直宏 | シルクライトニング | |
4. | 13 | 中山 | 皐月賞(GI) | 51.8(11人) | 1着 | 芝2000(良) | 2:02.0(36.5) | クビ | 大西直宏 | (シルクライトニング) | |
6. | 1 | 東京 | 東京優駿(GI) | 13.6(6人) | 1着 | 芝2400(良) | 2:25.9(35.1) | 1馬身 | 大西直宏 | (シルクジャスティス) |
[編集] 主な産駒
- 1999年産
- カゼニフカレテ - 愛知杯(GIII)
- 2000年産
- グランリーオ - 中日新聞杯(GIII)
- 2002年産
- イヤダイヤダ - ニュージーランドトロフィー(GII)2着
[編集] エピソード
・`97年の皐月賞を人気薄且つ大西直宏騎乗で勝った時、多くの競馬ファンの率直な感想は「誰だ、この騎手!?」というものであった。それだけ当時の大西騎手は、存在感の乏しいジョッキーであった(`96年の勝ち星はわずか4勝にすぎなかった)。
・弥生賞で3着に入り皐月賞の出走権があるにも関わらず若葉ステークスに出走(4着)し、さらに皐月賞勝利後はダービートライアルのプリンシパルステークスに出走(調教中の外傷により、出走回避)という中尾銑調教師によるローテーションは、当時「使いすぎ」と言われた。中尾銑調教師は「使わないと馬が太くなりすぎる」と説明したが、評論家の大川慶次郎は「皐月賞を勝つほどの馬なら、自分で体を作るはず」と、安易にレースを使おうとする調教師の姿勢を批判した。[1]
・ダービー出走前の併せ馬で、当時“芦毛の怪物”と言われ、また調教横綱としても知られていたスピードワールドに先着したことが話題になる。それを見た大川慶次郎は「この馬はやはり強い」と思い直し、ダービーの予想で印を打った。大川はかねてから「皐月賞はフロックだった」との評価に対し、「G1にフロックがあるのだろうか?」との疑問を抱いており、この併せ馬を目の当たりにして「やはりG1にフロックはない」と確信したという。[1] ちなみにその翌年、やはりスピードワールドと併せ馬を敢行したセイウンスカイが皐月賞を勝利。美浦トレーニングセンター内で「スピードワールドは非常に縁起の良い馬」と言われる。
・ダービーのゴール入線直前、フジテレビの三宅正治アナウンサーの「これはもうフロックでもなんでもない!二冠達成!!!!」という実況は、名実況としてファンに大変愛されている。それまで「皐月賞はフロックだ」と言われ続け悔しい思いをしていた関係者も、この勝利と三宅アナの実況により、大いに溜飲を下げた。
・東京競馬場でダービーを観戦していた生産者の村下夫妻は、サニーブライアンがダービーを1着でゴールした瞬間、うれしさのあまり2人で抱き合って喜んだ。周りには大勢の人間がいたが、そんな事はまったく気にならなかったという。サニーブライアンが先頭で直線に入った瞬間から夫妻は、「ほれっ、サニー、もう一息だ!ほれっ!ほれっ!!」と叫び続けていた。[2]
・馬主の宮崎守保は、サニーブライアンがダービーを勝利した時、サニーブライアンただ1頭しか現役競走馬を所有していなかった。このような例でダービーを勝利したのは史上初のことであり、他の馬主たちからは「奇跡」と言われた。
・サニーブライアン以後、関東馬はダービーを勝っていない。※2006年現在
・種牡馬としては、産駒の勝ち上がり率の高さが注目されている。特にデビュー初年度は地方競馬で産駒たちが驚異的なペースで勝ち上がり、フジテレビ「スーパー競馬」で井崎修五郎がトピックとして持ち出すほどであった。結局、フレッシュサイアーランキングは、フサイチコンコルドに次ぐ第2位となったが、これはバランスオブゲームが新潟2歳ステークスを勝利したためで、勝ち上がった産駒の数および産駒の勝利数はサニーブライアンの方が圧倒的に多かった。
・サニーブライアンの弟や妹たちも宮崎守保の所有馬として次々と中央競馬でデビューしているが(父カンパラ×母サニースイフトのサニーカンパラーン、全妹にあたるサニーペガサス、サンシャインフォーエヴァー産駒のサニーサンシャイン、トニービン産駒のサニークラシック、コマンダーインチーフ産駒のサニーコマンダー、アフリート産駒のサニーネイティブ、アジュディケーティング産駒のサニーケーティング)、兄とならぶような大きな活躍をした馬はいない。その原因として中野銑調教師は「サニー(ブライアン)が走りすぎちゃったからね」と、ジョークを交えて話している。[3] しかしながら、毎年のように中央競馬でデビューする子供を産むサニースイフトの子出しの良さには、関係者一同大いに感心しているという。
・2007年3月10日(土)12Rの「サラ系4歳上1000万下」中山ダート1,800m戦にて、サニーネイティブが通産4勝目の勝ち星を上げる(中央3勝、地方1勝)。
[編集] 出展
[1]「大川慶次郎の重賞回顧」nifty [2]「牧場物語」木村幸治 [3]「競馬エイト」
[編集] 血統表
サニーブライアンの血統 (ヘイルトゥリーズン系/Nasrullah5×5=6.25%) | |||
父
*ブライアンズタイム Brian's Time 1985 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Bramalea | Nashua | ||
Rarelea | |||
Kelley's Day 1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Golden Trail | Hasty Road | ||
Sunny Vale | |||
母
サニースイフト 1988 鹿毛 |
*スイフトスワロー Swift Swallow 1977 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Homeward Bound | Alycidon | ||
Sabie River | |||
サニーロマン 1974 鹿毛 |
*ファバージ | Princely Gift | |
Spring Offensive | |||
ファイナルクイン | ファイナルスコア | ||
ツキカワ F-No.1-l |
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