サンデーベスト
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サンデーベストは、山陽放送ラジオで1973年〜2002年3月31日迄放送されていた音楽番組である。愛称は「サンベス」。主として扱っていた音楽ジャンルは洋楽ポップス・ロックである。
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[編集] 概要
- 番組趣旨
ローカルラジオ局発信の地元向け洋楽専門の音楽番組である。主としてアメリカ・イギリスのポップ/ロックシーンの新曲紹介とリスナーからのリクエストによって構成されていた。司会は主に局の男性アナウンサーが担当。アシスタントは番組開始当初は素人の女子大生、後期は局の女子アナウンサーが担当し、地元岡山の地域色に富んだ独自の洋楽トレンドを29年間に渡って発信しつづけた音楽番組である。
- 番組としての音楽的志向
趣旨にもある通り番組で流れる曲は全て洋楽である。放送当時それぞれの時代のメインストリームとなるジャンルの差異によってロックが主体となる時代もあればヒップ・ホップやR&Bが主体となる時代もあった。また、POP TOWNで紹介される曲を選曲するのがパーソナリティである事からパーソナリティの音楽的趣味で僅かながらも番組でのトレンドが左右される事もあり、また、当時のトレンドによってパーソナリティ自身の音楽的趣味が影響を受けるという事もあった。
- リスナー
- 核となるリスナー層は岡山県在住の中学生及び高校生の男女。次いで大学生及び20代の男女。稀に小学生リスナーや中高年リスナーも存在した。また、高校卒業後に県外に進学するのを機に番組から離れる者も多かったが県外に進学しても雑音まじりの中、意地で聴き続けるリスナーや逆に県外在住者がたまたま受信してリスナーになったケースもごく稀ではあったが確認されている。また、長寿番組であったため親子二代でリスナーというケースもままあった。
- 主だったリスナーは洋楽愛好者および音楽(洋邦問わず)愛好者が多数であったが少数ながら深夜ラジオ番組愛好者もいた。番組主催のイベントやPOP TOWNなどを通じてお互いにサンベスネーム(番組内でのペンネーム)しか知らなかったリスナー同士が知り合ったり、同級/同校等の縁でリスナーグループを結成する事も多々あり、かつては操山高校軍団などといった番組公認のリスナーグループも存在したりと、リスナー同士の横の繋がりは番組の歴史を通じてかなり強かったといえる。
- 番組には週に平均2000枚近くのハガキが寄せられるため、番組内でリクエスト曲がかけられたり、ハガキの内容が読まれる事もかなりの競争率の高さであったがそれを突破して毎週何らかの形ではがきが読まれるいわゆる「常連リスナー」はそれぞれの時代に必ず十数人はいた。彼らは単純に毎週多くハガキが読まれるというだけでなく、その書く内容も一本筋が通っていた者が多く、いわば番組のオピニオンリーダー的存在でもあった。毎週そのサンベスネームを呼ばれる彼ら常連リスナーは一般リスナーの間でもパーソナリティ・サンベスガールに次ぐ尊敬の対象であったため、POP TOWNなどリスナー達が一同に会する際には自己紹介でサンベスネームが出ただけでどよめきが起こる程であった。
[編集] 放送時間帯
毎週日曜22時15分〜25時に放送。ただし時代により開始・終了時間は前後していた。前番組「ジャックあまののGO!GO!あまのじゃく」が放送されていた頃は22時30分、もしくは22時45分スタート(「〜あまのじゃく」は放送開始当初は15分番組だったが後に30分番組になったため)。終了時間も25時15分、30分の頃があった。
[編集] 影響
番組の生みの親でもある初代ディレクターの河田兼良氏は、リスナーからのリクエストを主体にした洋楽専門の音楽番組を発信するのは開始当時でもかなりの冒険であった、と述懐している。しかし、第1回放送後翌週放送までに寄せられたハガキは(プレゼントすら出していないのに)実に600通に及んだ。地元主体の深夜番組を岡山の若者達が希求していた事の現れであろう。その後一ヶ月程で番組の人気は定着したという。
兵庫(神戸)と広島に挟まれた地理的条件により特に洋楽アーティストは岡山を素通りする事が多かったのだが、番組を通じてプロモーターを動かし、ビー・ジーズ、ミッシェル・ポルナレフ、カーペンターズ、Mr.Bigを岡山に招聘する、という快挙を成し遂げた。また、岡山県岡山市に本社がある音楽プロモーター「夢番地」設立のきっかけにもなった。
放送期間約29年という歴史の深い番組ゆえにB'zのボーカル稲葉浩志や、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトなど岡山県出身のミュージシャンの中には、学生時代に熱心なリスナーでこの番組に影響を受けて音楽の道を選んだ者も多い。
また、この番組を聞いて放送関係の仕事を志した者も多く、岡山の若者達に多くの影響を与えつづけた番組であった。
岡山のローカルタレントとして知られる相田翔吾(RSKテレビ「ユタンポ」出演中)や「百ます計算」で知られる陰山英男も元リスナーである。
[編集] ゲスト
初代プロデューサー河田兼良の人脈で岡林信康、吉田拓郎、井上陽水、高田渡、なぎら健壱、アリス、アルフィーなどの国内ミュージシャンが'70年代には洋楽番組にもかかわらずよくゲストとして登場していた。特になぎらは、最終回のゲストでも登場した。
[編集] 主なコーナー
各時代によって細かいコーナー変更はあるが以下のコーナーのいくつかは基本的に変更なく最終回まで続いたものもある。
- ポップタウン
- 番組の最初にあるコーナー。基本的にその週にリリースされる新曲の中から3曲程ピックアップして紹介。たいていはここで紹介された翌週からベスト20のチャートに加わっていく。滝沢時代には毎週RSK本社スタジオでリスナー参加の公開録音を実施していた(後述)。
- サンベスシアター
- 岡山駅前の映画館「岡山メルパ」で上映される映画の中から毎週一本紹介。映画音楽のリクエストに応じていた。ペア観賞券のプレゼントもあった。
- サンベスBEST20
- リスナーからのリクエスト投票で構成されるランキングコーナー。毎週のランクポイントを集計して年末の放送では年間ランキングも発表される。東京発信の洋楽HITチャートに頼らない、いわば独立したチャートを形成していたため、意外な曲がランキング上位に位置していたりする事もよくあり各レコード会社の担当者達にも一目置かれていた。
- 41円のジュークボックス
- リスナーからの思い出のリクエスト曲をかけるコーナー。バロム時代にスタート。コーナータイトルは当時のハガキの値段が41円(消費税3%が導入された頃)だったことから。その後ハガキの値段は変更されたがコーナータイトルはそのまま使用された。
- サンベスLMスタジオ
- 地元で活動しているアマチュアバンド/ミュージシャン達が登場するコーナー。甲本ヒロトも登場した事がある。ただし、継続されていたコーナーではなく、全く無かった時代もある。
- 金太郎丸のBlood,Sweat&Tears
- 金太郎丸ディレクターがメインを務めるコーナー。往年の名曲をそれにまつわるエピソードと共に紹介した。金太郎丸らしくよほどの事情通しか知らないようなマニアックなエピソードを紹介しリスナー達を圧倒していた。(武田・石田時代のコーナー)
[編集] パーソナリティ
基本的に放送局である山陽放送の男性アナウンサーがメインパーソナリティを務める。番組のナビゲーション役でもある事から一定以上のポピュラー音楽、特に洋楽に関する知識を要求される為か定かではないが、石田好伸や鍋島昭茂のように、サンベスパーソナリティになりたくてもなれない者もいた。(鍋島は安田時代の’90年9月に1週だけ代役を務めた事がある)また、'89年4月〜’90年3月にパーソナリティとなったバロム1(早川治)はアシスタントからメインパーソナリティとなった。基本フォーマットは不変であったが各歴代パーソナリティによって番組のカラーが多少は違っていたため、以下ではパーソナリティ毎にそれぞれを「時代」としてひとくくりに表現する。
[編集] 歴代パーソナリティー
- 初代:岩根宏行 - 番組ディレクターの「金太郎丸」に対抗して桃太郎丸というニックネームを使用していた。現在は「アンクル岩根」として「イブニングDonDon」にも登場している。アートに関して造詣が深い。
- 二代目:島田博 - 番組内では「シマトラ(本人が阪神ファンである事からつけた「島田博トラの助」の略)」というニックネームで通っていた。現在は技術局長代理兼システム管理部長。
- 三代目:中尾俊直 - 約1年で交代。
- 四代目:島田博(復帰)
- 五代目:滝沢忠孝 - 自身のモットー「Cheer Up で ING」がリスナー達の励みとなった。熱心なリスナー達を集めたアシスタント集団「お茶汲み隊」のよき兄貴分。彼の就任時を黄金時代と位置づける者は多い。
- 六代目:バロム1 - 歴代パーソナリティの中で唯一の素人(リスナー)。「お茶汲み隊」出身。現在は県内の高校で教鞭を揮っている。プリンスの大ファン。
- 七代目:安田敬一郎 - 現在はWOWOWのアナウンサー。自ら「チャーリー敬」と呼ばせていた。
- 八代目:横須賀伸一 - 就任当初はロックに傾倒していたがその後ポップスにも手を広げていた。ニックネームは「スカさん」。気さくな語り口調でリスナー達のよき兄貴分だった。降板後は営業部に異動。
- 九代目:早田和泰 - 自身の得意分野は'60年代R&Rで河田氏と相通ずる所が多かった。現在はフリーアナウンサー。
- 十代目:武田博志 - 最後のパーソナリティ。空回りキャラがリスナーには人気だった。趣味は温泉巡り。現在はRSK高松支社で報道兼務。
[編集] 主な歴代サンベスガール
パーソナリティのアシスタントとして「サンベスガール」がいた。滝沢時代までは素人の女子大生が担当していたが、安田時代に就任した榎崎朱子以降、RSKの若手女子アナウンサーが担当するようになった。
- 森田恵子 - 滝沢と一緒に黄金時代を築き上げた。就実大学在学時に就任。卒業後にRSKに就職するものとリスナーの誰もが期待していたが叶わず、瀬戸内海放送アナウンサー(在籍中は河田兼良がスーパーバイザーを務めたローカル音楽番組「チョベリグ」でディレクターを担当)→NHK岡山放送局キャスター→フリーアナウンサー(主にFM岡山で活躍)と波乱のアナウンサー人生を送っている。今でもサンベスガールといえば彼女を連想する者は多い。就実大学非常勤講師。最近は着物を着る事が多い。著書に「ガレリアを風が吹きぬけ」「和みおかやま」がある。
- 大森奈々絵 - 女子大生サンベスガールとしては最後の起用。森田恵子の後任としてバロム時代に活躍した。'91年3月で降板後大学卒業と同時に山形放送のアナウンサーに(現在は退社)。
- 榎崎朱子 - 安田と一緒に就任。半年程の在任期間であったが「リンダえの」と呼ばれて親しまれていた。現在RSK本社報道部記者。
- 流王満美子 - 入社後半年での大抜擢だった。横須賀とともに「スカマミ」コンビで一世を風靡。歴代サンベスガールの中で最長の在任期間を誇る。'96年末退社と同時に降板。現在は東京でお菓子教室を開いているらしい。
- 坤徳ひとみ - 番組内では「ひーちゃん」「ひーさま」と呼ばれ、女王様キャラを発揮していた。現在はフリーアナウンサーに。
- 中村恵美 - 早田時代のサンベスガール。愛称「えみっち」。降板後に寿退社したが後に復帰。現在もアナウンサーを続けている。
- 笹岡ありさ - 早田〜武田時代のサンベスガール。リスナー達の頼れるアネゴキャラだった。かなりの酒豪。現在は蔵元の嫁。
- 石田芳恵 - 愛称「よっしー」。玉野市出身。最後のサンベスガール。
また、サンベスガールは番組オープニングのタイトルコール(「Now, We Present You, Sunday Best !」)やサンベスベスト10での曲名の読み上げを担当していたため、英語が堪能な者が起用される事が多かった。
[編集] その他の人気キャラ
- 金太郎丸ディレクター - 番組初代ディレクター河田兼良氏のニックネーム。番組のブレイン的存在でありとあらゆる音楽的知識に造詣が深い。自身はフォークミュージックの権威ともいわれ、なぎら健壱をはじめ日本のフォークミュージシャン達とも交流がある。彼には大友康平も浜田省吾も嘉門達夫も長渕剛も山下達郎すらも頭が上がらないという。長らく番組を離れていたが武田時代に復帰。最後のディレクターとなった。サンベス終了後も1年程RSKで音楽番組のDJをしていた。著作にエッセイ集「It's Only Yesterday」(株式会社アス刊)がある。長渕剛ファンクラブ永久会員。
- お茶汲み隊 - 滝沢時代の制作アシスタント集団。例外もいたがそのほとんどが岡山大学落語研究会のメンバーで構成されていた。主なメンバーはバロム1、椿屋京白、椿屋京豚、Dr.ピコ、風流亭しょうがなど。滝沢降板後はお茶汲み隊リーダーのバロム1がパーソナリティーとなった。
[編集] リスナー参加イベント
特に滝沢時代に頻繁に実施されていたPOP TOWN(ポップタウン)は、毎週日曜15:00からRSKのラジオ第1スタジオ(現在のテレビニューススタジオ)でリスナー達を集めて行われていたいわゆる公開録音イベントであった。イベントに参加した常連リスナー達の中から後に「お茶汲み隊」を結成する椿屋京豚などを輩出した。集まったリスナーの中から希望者を募りニューリリースの曲を紹介してもらっていた。当然そのときの曲紹介コメントは本放送時に放送された。瀬戸大橋が開通した'88年にはJR児島駅前で開催されていた瀬戸大橋博のイベント会場でPOPTOWNが開催された。バロム1時代以降は予算等の事情により開催の頻度は極端に減り、毎年末に行われる「サンベスオールナイト」の先行イベントとして当日の昼頃にRSK本社ロビーで開催されるもののみとなっていった。地元密着型のローカル音楽番組として、番組(パーソナリティ)とリスナーの絆を深めるための重要な役割を果たしていたといえよう。そんな年末POP TOWNも横須賀時代を最後に行われなくなってしまった。
また、滝沢時代の倉敷市笹沖のデパート「サブリーナタウン」特設ステージでの夏のポップタウンやバロム時代の県営グラウンドでの缶蹴り大会、安田時代の岡山市民会館でのイベント(エコーズのライブあり)、横須賀時代のRSKメディアコムでのポップタウン、藤が鳴フルーツパークでのデイキャンプ、武田時代の津山市吉井川河川敷・後楽園入口でのリスナーミーティングなど、不定期もしくは一回限りのイベントもその時々によって行われたりしていた。このような地道な小規模のイベントがパーソナリティとリスナーとの距離を近づける良い機会となり、リスナーを獲得するきっかけとなっていたのである。
[編集] 年末オールナイト
サンベス最大のイベントは毎年クリスマス前後の日曜日の20時前後〜翌朝4時まで放送する「サンベスオールナイト」であった。島田時代には「はやくりぱ(早めのクリスマスパーティの略)」と呼ばれており、若手時代のアリスがゲスト登場したこともあった。最大の目玉は毎週のランキングからポイントを集計し年間ランキングを発表する年間ベスト50。年間ベスト3を予想するクイズも実施されていた。
その他、椿屋京白らアシスタントが放送中県内を巡りリスナー宅を探しまわったり(訪問はせず放送を通じて自室の電気をつけたり消したりさせる事で起きている事を確認)新岡山港の駐車場でテンポよくリズムを刻む車やブティックホテルに吸い込まれる様に入っていく車など年の瀬ならではの模様をレポートしたり、リスナーが事前に自宅の電話番号をハガキに書いて投稿し、放送中にリスナーが起きて聴いているか電話をかけて確認する「起きてるか電話(別名:二度ベル)」など、盛りだくさんの内容で一年を締めくくっていた。
このオールナイトも横須賀時代以降は年を追うごとに縮小傾向に陥り、午前4時まで放送する事も少なくなっていった。
[編集] 番組内の伝説
- 週間チャート最多連続ランクイン曲
- 基本的に年間チャートで一位を獲得する曲は最低でも一週は一位を獲得した事のある曲であろう事は統計学的にもいえる事であるが'89年の年間チャートでは奇跡が起こった。なんと年間を通じて一度も一位を取らなかった曲が一位になったのだ。その曲はシンプリー・レッド「二人の絆(If You Don't Know Me By Now)」。その年の6月に初ランクインしてから一度もランクアウトする事なく年末までの半年間チャートに居座り続けたことで着実にポイントを獲得し快挙に至ったのである。しかしこの時点でその奇跡は終わらなかった。なんと翌年もチャートに居座りつづけ総ランクイン期間も1年を超えその年の年間チャートでなんとベスト3に入ったのである。後にレコード会社からも感謝状が贈呈された。結局ランクアウトされるまで一度も一位になる事はなかった。
- 週間チャート連続1位獲得回数
- チャートで連続1位最高獲得数を記録したのは'88年のボン・ジョヴィ「Bad Medicine」の連続9週。10週目に阻止したのはペット・ショップ・ボーイズ「Domino Dancing」であった。
- 番組終了の危機を救った男
- 滝沢時代に一度編成上番組を終了する話が持ち上がった事がある。その時、パーソナリティとしてリスナーに対して責任があると感じた滝沢は局長に食って掛かり、涙ながらに終了撤回を直訴した。その熱意のおかげで終了の話は撤回され、後に29年に渡る局屈指の人気長寿番組になったのである。
[編集] 番組の終焉
決してリスナーの番組離れがあった訳でもなく、また洋楽がトレンドでなくなった訳でもない。番組終了の最大の要因はスポンサー獲得が困難になってきた事によるといわれている。番組では、例えば「サンベスシアター」では岡山メルパの母体である福武観光、「LMスタジオ」は太田洋行(現在のヤマハミュージック瀬戸内・岡山店)といった具合に各コーナーごとにスポンサーをつけていたが実際スポンサーがついていないコーナーもいくつかあり、そういった所から番組制作を圧迫していったものと思われる。また、'99年にFM岡山が開局した事によりAM放送局で音楽番組を放送する使命を終えたと考える向きもある。(岡山県内でFM局が開局するのが他県に比べてあまりに遅かったのはRSKで良質の音楽番組が数多く輩出されていた為と言う説がある)
かくして番組開始30周年を前に番組は終了したのであるが、終了後も不定期で突如復活する事があり、終了から5年経った2007年3月時点で過去3回程復活している。2006年12月24日にも「一夜限りのサンベスポップタウン」として復活放送し、滝沢、森田、京白、京豚ら黄金時代の面々が一同に会しスタジオ内とリスナー達はこの上ない懐かしさに包まれたのだった。