シャルル・デュトワ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
シャルル・エドゥアール・デュトワ(Charles Édouard Dutoit、1936年10月7日 - )は、スイス出身の指揮者。「音の魔術師」との異名をとる。
目次 |
[編集] 経歴
ローザンヌ生まれ。同地の音楽院でエルネスト・アンセルメに指揮を師事するかたわら、ヴァイオリン、ヴィオラ、打楽器、作曲を学ぶ。指揮科を首席で卒業後にアメリカ合衆国に留学し、タングルウッドでシャルル・ミュンシュに師事。
1957年からヴィオラ奏者として、欧州や南米のさまざまなオーケストラに在籍する。それから2年後の1959年、スイスに戻って指揮に専念し、スイス・ロマンド管弦楽団やローザンヌ室内管弦楽団の客演指揮者を務める。その後は1967年にパウル・クレツキからベルン交響楽団を引き継ぐまで、チューリヒ放送交響楽団の指揮者となる。ベルンに在任中の1973年から1975年に、メキシコ国立交響楽団を、1975年から1978年までイェーテボリ交響楽団の指揮者も兼務した。
1977年にモントリオール交響楽団の芸術監督に就任。在任期間の25年に、同楽団をカナダ随一の世界的なオーケストラに育て上げた。同時期から主な客演にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、パリ管弦楽団、北ドイツ放送交響楽団、バイエルン放送交響楽団など。 1990年より、ニューヨーク州サラトガ・スプリングス夏の音楽祭においてフィラデルフィア管弦楽団の芸術監督ならびに首席指揮者を務める一方、2000年にはレナード・バーンスタイン提唱の国際教育音楽祭パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)でも芸術監督を務めている。
1991年から2001年までフランス国立管弦楽団音楽監督に就任、同楽団とは数々の録音で共演して高い評価を受けるとともに、広く五大陸で演奏旅行を行う。1996年にフランス政府より“Commandeur de l'Ordre des Arts et des Lettres”を授与され、同年にはカナダ政府からも叙勲された。カナダ人以外で初めて、ケベック州民勲章も受賞している。
デュトワは、ベルリオーズやビゼー、ラヴェル、イベールなどのフランス音楽や、リムスキー=コルサコフやチャイコフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフといったロシア音楽を得意としている。このほかに、オネゲルの交響曲全集や、レスピーギの≪ローマ三部作≫とヴァイオリン協奏曲、ファリャのバレエ音楽、武満徹の管弦楽曲の解釈にも卓越したものがある。
シャルル・デュトワは世評を避け、私生活をメディアから守ってきたにもかかわらず、3度の結婚と離婚は有名で、かつての伴侶としては、とりわけ世界的ピアニストのマルタ・アルゲリッチと、オンタリオ州の著名なエコノミスト、マリー=ジョゼ・ドゥロワン(Marie-Josée Drouin)の名が知られている。
[編集] 受賞歴
世界各地から40以上の賞を手にしてきた。主だったところは次の通り。
- グラミー賞
- カナダ・ジュノー賞
- フランス共和国大統領グランプリ
- モントルー・レコード国際大賞
- アムステルダム・エジソン賞
- レコード・アカデミー大賞(「レコード芸術」誌、音楽之友社)
- ドイツ音楽批評家大賞
1991年には、フィラデルフィア名誉市民の称号も授与された。
[編集] シャルル・デュトワと日本
デュトワは大の日本びいきとしてファンの間では有名で、和食や陶磁器の愛好家でもある。
2000年から3年間、札幌を中心に行われるパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)、2004年からは故・アイザック・スターンの遺志を継ぎ、宮崎国際音楽祭の芸術監督にも就任した。1999年にはNHK教育テレビ『シャルル・デュトワの若者に贈る音楽事典』に出演、自らキャストとして作曲家の役にも扮した。また、テレビ朝日『徹子の部屋』にも招かれ出演している。
デュトワとかかわりのある人たちは日本と不思議な因縁で結ばれている。
アルゲリッチが娘アニー・デュトワ(音楽ジャーナリスト)を身ごもったことに気づいたのが、1970年の初来日の時であり、1974年には夫婦共演のために日本を訪れたが、夫婦喧嘩からアルゲリッチは一方的に公演をキャンセルして帰国、あげくデュトワと離婚に至ったという経緯がある。
その後アルゲリッチはデュトワと和解し、近年では、デュトワ指揮、アルゲリッチのピアノで共演を重ねている。偶然とはいえ、デュトワとアルゲリッチは、それぞれ九州の音楽フェスティバルの芸術監督に就任している。娘アニーは、日本での取材をふりだしに記者活動を始めた。
[編集] NHK交響楽団音楽監督
1996年、NHK交響楽団の常任指揮者に就任した。就任記念定期では、オネゲル『火刑台上のジャンヌ・ダルク』(演出付き)を上演。就任記念特別演奏会ではアルゲリッチとショパンのピアノ協奏曲第1番を共演。1998年から音楽監督に就任。1999年、高島勲演出、ダッラピッコラの歌劇『囚われびと』とフォーレ『レクイエム』を上演。2001年、創立75周年記念演奏会にてオルフ『カルミナ・ブラーナ』を演奏。 2003年6月、音楽監督を退任した。音楽監督として最後の演奏はR.シュトラウス『エレクトラ』(演奏会形式)であった。同年9月からは名誉音楽監督に就任し、現在でも年に3プログラムの定期公演の指揮をしている。
デュトワが来たことに伴ってレパートリーの広がりやサウンドの変化はもとより、これまで国内をその活動の中心に置いてきた同楽団は周期的に海外公演を行うようになり、またデッカ・レーベルによるレコーディングも行われた。これまでにヨーロッパ、アジア、アメリカ、ロシアの各主要都市で広く公演を行っている。
また、NHK大河ドラマ第39作『葵 徳川三代』のテーマ音楽の指揮もした。さらにデュトワとN響にはユニクロのTVCM出演の企画まで持ち上がったこともあったが、これはNHKから待ったがかかり、実現しなかった。
先代: アレクサンダー・ルンプフ |
NHK交響楽団常任指揮者 1996–1998 |
次代: - |
先代: - |
NHK交響楽団音楽監督 1998–2003 |
次代: ウラディーミル・アシュケナージ |