ソメイヨシノ
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ソメイヨシノ | ||||||||||||||
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分類 | ||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||
* Prunus × yedoensis(Matsum.) |
ソメイヨシノ(染井吉野)はエドヒガン系のコマツオトメとオオシマザクラの交配で生まれたサクラの園芸品種。現代の観賞用サクラの代表種である。
目次 |
[編集] 命名の由来
江戸末期から明治初期に、江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成され「吉野桜(ヤマザクラの意)」として売り出していた。藤野寄命の調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり、1900年(明治33年)「日本園芸雑誌」において「染井吉野」と命名された[1]。
[編集] 特徴
ソメイヨシノ Prunus × yedoensis はエドヒガン P. pendula Maxim. f. ascendens (Makino) Ohwiとオオシマザクラ P. lannesiana var. speciosa の雑種が起源である可能性が高い[2]。
花弁は5枚で、葉が出る前に花が開き、満開となる。開花期は関東地方で3月末から4月上旬ごろ。花色は、咲き始めは淡紅色だが、満開になると白色に近づく。原種の一方であるエドヒガンと同じく、満開時には花だけが密生して樹体全体を覆うが、エドヒガンよりも花が大きく、派手である。エドヒガンの花が葉より先に咲く性質とオオシマザクラの大きくて整った花形を併せ持った品種である。
一代雑種のため自家交配の結実率は極めて低いと言う説が有るが、むしろ、交雑または交配の結果、自家不和合性が強く出た品種の可能性が強い。実際、枝の条件により、かなりの結実を観察することができる場合も有る。もっとも、その場合でも結実したその種が発芽に至ることは無い。なお、自然交雑種としてはミズタマザクラやウスゲオオシマなど、100種近い亜種が確認されている。
ソメイヨシノは、街中では他種より目にする機会が圧倒的に多いことから、以前からその起源についてと共に、可否好悪についても、愛桜家の間で論争の絶えなかった品種である。
江戸時代中期~末期に園芸種として生まれ、葉より先に花が咲き開花が華やかであることが好まれたことで、明治以来、更には第二次世界大戦後にも日本中に植えられ、全国に爆発的な勢いで植樹された。
現在、ほぼ日本全域に分布する最もポピュラーな桜であり、例年3月に気象庁が発表する「さくらの開花予想」(桜前線)も本種の開花状況が基準となっている。
しかし、ソメイヨシノには大きな欠点がある。数百年の古木になることもあるヤマザクラやエドヒガンに比べて寿命が短く「60年寿命説」と一般に言われている[3]。この寿命の短さの原因としては、株分けのクローン植物の性質上分裂を繰り返した遺伝子のため情報にエラーが生じやすく元来種としての寿命が短い、という記載が見受けられるがこれは生物学的には誤りである。全ての里桜の固定品種は挿し木などのクローン増殖しているので、ソメイヨシノの寿命のみをクローンで説明すると矛盾が生じる。ソメイヨシノは成長が早く、その分老化も早いという説の方がむしろ信憑性がある。ソメイヨシノはF1(一代交雑種)である可能性が高く、F1はトウモロコシなどでも有名だが、両親の優れた性質を表現系に出す。俗に言う雑種強勢である。ソメイヨシノの生育の早さをこれで説明することはある程度の説得力を持つ。また、街路のように排気ガスなどで痛む、公園と言った荒らされやすい場所に植樹されているということも、寿命を縮める原因となっている。
今あるソメイヨシノの大半が昭和天皇の即位の時や、第二次世界大戦後すぐ復興のシンボルとして植樹された物で、樹齢が50年を超え、一つの時代の節目を迎えようとしている。戦後60年近くが経過した現在、いわゆる花の名所として数百本・数千本のサクラを植えている場所では植え替えの手間・費用も馬鹿にならず、ソメイヨシノ一色の時代から里桜を混ぜて植える傾向も見受けられる。
寿命が短いという説のあるソメイヨシノであるが、老木も見受けられる。青森県弘前市ではリンゴの剪定技術をソメイヨシノの剪定管理に応用するなどして樹勢回復に熱心に取り組んだ結果、多くのソメイヨシノの樹勢回復に成功している。弘前城跡公園には樹齢100年をこえるソメイヨシノがあり、これは本種の現存する最も古い株であろうと言われる。
[編集] てんぐ巣病
サクラ全般に共通の欠点として、ソメイヨシノも排気ガスによる大気汚染などの環境悪化に弱いこと、病気や虫の害を受けやすいことが指摘される。特に、他のサクラよりてんぐ巣病(てんぐすびょう)にかかりやすい。サクラてんぐ巣病はTaphrina wiesneriという酵母菌状の子嚢菌の感染により起こる病気で、その上部では小枝が密生して、いわゆる「天狗の巣」を作る。更に、開花時には小さい葉が開くので目障りとなったり、罹病部位は数年で枯死したりといった被害を与える。罹病した病枝は切り取って焼却しなければならない。
[編集] 起源の諸説
ソメイヨシノは江戸時代中期~末期に園芸品種として確立した。園芸家による人工的な品種改良作出説と、自然交雑した物を、園芸家が挿し木によって増やしたという説とがある。
過去には伊豆大島原産とされていたが、現地調査で否定された。
1939年に小泉源一が大韓民国の済州島の王桜との類似を指摘して、済州島が自生地であり起源とする説を唱えた[4]。が、ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの交配的形態を持つが、オオシマザクラは伊豆諸島で進化したカスミザクラの島嶼型であって朝鮮半島には存在しておらず本説は否定的な見解を受けている。また遺伝子調査によっても本説は否定された[5]。
1916年にアメリカのウィルソンによりオオシマザクラとエドヒガンの雑種説が唱えられ、国立遺伝学研究所の竹中要の交配実験により、オオシマザクラとエドヒガンの交雑種の中からソメイヨシノおよびソメイヨシノに近似の亜種が得られることがわかり、1965年に発表された。これを受けて、伊豆半島発生説が唱えられた[6]。
これに対し、明治初年に樹齢百年に達するソメイヨシノが小石川植物園に植えられていたという記録や、染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋の記録にソメイヨシノを作出したという記録が発見されたことから、岩崎文雄らは染井村起源説を唱えている[7]。
別説として、アメリカの植物学者にはソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの雑種ではなく独立した種であるとの説を唱える者もいる。
2007年3月、千葉大・静岡大などの研究グループは、遺伝子解析の結果、オオシマザクラとエドヒガンの園芸品種のひとつであるコマツオトメの交配で生み出された可能性が高いと発表した[8]。
因みに「アメリカ(サクラ)」と言うサクラの品種がある。この品種は、かつてはアメリカにてソメイヨシノの実生から作られたとされていたが、ソメイヨシノの結実率の低さともあいまって事実は不明である。
[編集] その他
- 用途 街路樹、公園の植え込みなどに広く用いられている。
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目
- 桜前線 - 桜の開花予想には、主にソメイヨシノが基準となっている。
[編集] 脚注
- ^ 名称は初め、サクラの名所として古来名高く西行法師の和歌にもたびたび詠まれた大和の吉野山(奈良県山岳部)にちなんで「吉野」とされたが、「吉野(桜)」の名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、上野公園のサクラを調査した藤野寄命博士が「日本園芸雑誌」において「染井吉野」と命名したという。
- ^ なお学名の×は自然種間交雑種の表記であり、人工交配種の場合この表記は用いられないという。ソメイヨシノが自然交雑種なのか、人工交配種なのかは不明だとして、この学名の妥当性に疑問を呈する声もある。エドヒガンではなく、コマツオトメのこう配だという研究結果もある(ただしコマツオトメも種としてはエドヒガンの園芸品種で、その中の1クローンではある)。
- ^ ただし、正確な寿命に関しては、統計数値がないため不明である。
- ^ 小泉がソメイヨシノと王桜との比較に用いたとされる搾葉標本が残されておらず、当初からこの説は疑問視されていた。
- ^ しかし、大韓民国ではいまだに「王桜=ソメイヨシノ」説が有力なため、王桜の自生地にソメイヨシノを植林する活動が積極的に進められており、王桜の絶滅が心配されている。
- ^ 自然交雑説を採る場合、オオシマザクラおよびエドヒガンの分布状況から、自生地の重なる伊豆半島付近で発生したと考えられている。
- ^ この植木屋の記録により1720~1735年ごろ,駒込の西福寺に墓の残る当地の伊藤伊兵衛政武が人工交配・育成したの推定もある。
- ^ 日本育種学会 第111回講演会 公演番号234 時事ドットコム