ファミリーコンピュータMagazine
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ファミリーコンピュータMagazine(ファミリーコンピュータマガジン)は徳間書店が発行していたファミリーコンピュータ(以下ファミコン)専門のゲーム情報誌。通称「ファミマガ」。
目次 |
[編集] 概要
1985年7月、日本初のファミコン専門誌として創刊。創刊当初は月刊誌として刊行されていたが、その後月2回刊へと変わった。
任天堂公認の強みもあって紙面は充実しており、編集部では任天堂発売のディスクシステム用ソフトの説明書の編集も手がけるほどであった。攻略記事も充実しており、全盛期はほぼ毎号、攻略本の別冊付録が付くほどであった。誌面内容は攻略記事と裏技(ファミマガでは「ウルトラテクニック」、略して「ウル技」(ウルテク)と呼称)が中心となっていた。
ゲーム雑誌としては最古の部類に入り、かつては「ニュースのファミ通、攻略のファミマガ」と呼ばれていた。また、当時メジャーであったゲーム雑誌の中で、ファミ通(旧称=ファミコン通信)やファミコン必勝本、マル勝ファミコンが横書きであったのに対し、このファミマガは縦書きであった(他に、ややマイナーな雑誌ではゲームボーイやハイスコア、ファミコンチャンピオンも縦書きであった)。
[編集] 歴史
[編集] 初期
初期には、毎回一つのゲームを題材に裏技を紹介する連載漫画や、エディット可能なパズルゲームの投稿ステージ(自作面)を紹介するコーナー、ファミリーベーシックの投稿プログラムを紹介するコーナー「打ち込んでRUN」もあった。
ゲームの高得点を、不正スコアを申告できないように画面の写真を撮って投稿することで競う「ハイスコアルーム」も、担当の米丸・バボの芸風とともに人気を集めていた。またハイスコアだけでなく、低スコアクリアや取得アイテムを制限してのクリアなどを競う、今でいうやり込みのはしりとも言えるコーナー内コーナー「がんばりなはれ」も存在した。しかしパソコンで偽造した画面写真を大量に投稿した投稿者がいたことが発覚するという事件も起こり(この事件は、俗にその投稿者のペンネームから「スーパータイガー事件」と呼ばれた)、ドラゴンクエストのヒットからスコアを競わない系統のゲームが流行しはじめたこともあり、コーナーは終了することになった。
[編集] ウソ技(ウソテク)
ウル技(ウルテク、ウルトラテクニック)紹介コーナーでは、毎号1つ嘘のウル技を用意して読者に当てさせるクイズ「ウソテックイズ」も出すという面白い企画もあった。このウソ技は他紙による情報の盗用を避ける狙いもあったのだが、そのウソ技を盗用して本当の技として掲載してしまった雑誌から苦情が来るという理不尽なこともあったという。またウソ技の中には開発者側で面白いということになり、続編において本当のウル技として実現されたものもあった。
その一方で、『水晶の龍』の野球拳等、読者が嘘と見抜けないウソ技や、非常に高度な(しかし上級者には決して不可能ではないレベルの)ゲームプレイを要求したあげくウソ技であるといったようなものが騒動となり、物議をかもすことも多かった。この騒動以降、ウソ技は見た目ですぐ分かるような簡素な物になり、投稿者の欄にはゲームに関連したようなペンネームが使われたが、年末号のみ手の込んだものになった。
ウル技は初期の人気コーナーだったのだが、バグ技を扱うことについて「ソフトの品質に対するイメージが悪化する」という理由でメーカー側から掲載への圧力がかかることもあり、初期は1号に50や100も掲載されていたウル技の数は徐々に減少、紙面におけるウェイトも減少していくことになる。
[編集] ランキング
1986年から、アンケートハガキに発売されたゲームについて「キャラクタ」「音楽・効果音」「お買い得度」「操作性」「熱中度」「オリジナリティ」のそれぞれを読者が5段階評価する欄が設けられ、これを集計しランキングするシステムが始まった。これはファミ通のクロスレビューに対抗する評価基準として考えられたものである。読者のアンケートという形で公正さをアピールしていたが、あるメーカーが自社のゲームが上位になるよう組織票を投じたことが発覚し問題となったこともあった。またこれとは別に、年末にその年のゲームを一括し同様の基準での評価を募り、ファミマガゲーム大賞を選定した。
[編集] 中期
後年には、ディスクシステムのマスコットキャラが登場して様々なゲーム業界の話を紹介する漫画や、『ジェリーボーイ』や『ファイアーエムブレム』、『ストリートファイターII』、『サムライスピリッツ』等を原作とするストーリー漫画、『へべれけ』の四コマ漫画なども連載された(後に『ぺもぺも』というタイトルに改題された)。田尻智がアーケードゲームを紹介するコーナーを持っていたこともある。
また、それまで紹介したウル技を完全収録した「大技林」(現在の広技苑)が毎年の年始に発売される3号に別冊付録として出版されていたが、これをムック化し単体の本として発行するようになる。しばらくの期間はウソ技もそのまま掲載されていたが、後にウソ技は排除された。
[編集] 衰退と休刊
一時期はゲーム雑誌の代表格であったファミマガだが、新作情報を中心とした総合情報誌へと変わって行ったファミ通がシェアを拡大、ハードの多様化で任天堂ハードが劣勢となり、ファミマガも部数を激減させることになる。こうした中てこ入れ策として、1997年、NINTENDO64中心の「ファミマガ64」と誌名変更し、更に新たに週刊の総合情報誌「ファミマガWeekly」を刊行する。だがファミマガWeeklyは半年で廃刊となり、ファミマガ64も任天堂劣勢の状況と徳間書店の経営危機の影響を受けて隔週刊から月刊にペースダウンし、1998年に休刊した。
[編集] Nintendoスタジアム
ポケットモンスターが一躍ブームであった1997年から、テレビ東京の番組「スーパーマリオスタジアム」、及び後続の「64マリオスタジアム」において、番組内で行われていたポケモン通信対戦コーナー「ポケモンリーグ」の解説者をファミマガの編集者「トランセル種市」が担当することになった。休刊後も番組内での解説を続けていたのが功を奏したのか、その後徳間書店から「Nintendoスタジアム」という雑誌を刊行することになった。当初はポケモンの記事しか無かったが、後に任天堂の家庭用ゲーム機全般を扱うゲーム雑誌になった。雑誌サイズこそ小さいものの、縦書きで独特の目次ページなど、ファミマガの後継誌といった雰囲気であった。
その後、徳間書店の経営悪化により、Nintendoスタジアムのスタッフは毎日コミュニケーションズへと移籍。これによって毎日コミュニケーションズから既に刊行されていた「Nintendo DREAM」とはライバル誌から兄弟誌になる。しばらくは共に刊行されていたが、Nintendo DREAMに統合される形で2002年6月21日発売の8月号にて事実上休刊となる。大技林も毎日コミュニケーションズから「広技苑」と名を変えて発行している。
[編集] 姉妹誌
- テクノポリス
- MSX・FAN
- PC Engine FAN(ファミマガのコーナーから独立)
- メガドライブFAN(ファミマガのコーナーから独立)
- 3DOREALFAN(ファミマガのコーナーから独立)
- Play Station Magazine
- この他、ファミマガ増刊として刊行された雑誌・ムック
- SUPER FAMICOM Magazine - ゲームのBGMを収録したCDが付録。後期はPCエンジンやメガドライブのBGMも収録した。
- GAMEBOY Magazine - ゲームボーイ特集増刊。A5判。
- ゲーセン天国 - アーケードゲーム情報誌。ファミマガのコーナーから独立。
- ファミマガVideo - 最新のゲームソフトを映像で紹介。別冊ファミマガMiniも同梱されていた。ビデオ本編のナレーションは富山敬。
[編集] 雑記
- 1994年、ファミコンスペースワールドが中止となったことから代替イベント「スーパーファミコンアースワールド」を任天堂を始めとするメーカー各社の協賛で主催した。翌1995年にも「ファミマガアースワールド」を開催。
- 上記のNintendo DREAMの付録(内容はファミコンミニの紹介記事)として一度復活したことがある。