フランク・チャンス
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フランク・チャンス(Frank Leroy Chance, 1877年9月9日 - 1924年9月15日)は、1900年~1910年代のアメリカ・メジャーリーグで活躍した選手、及び監督。主なポジションは一塁手。カリフォルニア州フレズノ生まれ。右投げ右打ち。1906~1908年のカブスのリーグ3連覇を支えた「ダブルプレー・トリオ」の一人であり、監督である。
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[編集] 略歴
- 1898年にカブスに入団。当初は主に捕手として試合に出ていたが、1903年頃からは主に一塁を守るようになる。それに伴って打率も上昇し、同年から1906年まで4年続けて打率3割をマークする。
- 1905年途中から、フランク・セレーに替わってチームを率いる監督兼任選手となる。チームは1906年から1910年までリーグを4度制覇、ワールドシリーズも2度制覇する。1906年にはメジャーリーグ記録となるレギュラーシーズンでの116勝を挙げ、チームの牽引役であったチャンスは、"the Peerless Leader" (比類なきリーダー)と呼ばれるようになる。
- 1913年から2年間はニューヨーク・ヤンキースの監督を務めたものの、チームは上位に浮上できず、1914年途中で監督を退く。
- 長いブランクの後、1923年にレッドソックスの監督を1年だけ務める。監督を退いた翌年の1924年に、ロサンゼルスにて他界。
- 1946年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。かつてのダブルプレー・トリオであるジョー・ティンカー、ジョニー・エバースと共に、3人揃っての選出であった。
[編集] 所属球団
- シカゴ・カブス(1898年-1912年)、※1905-1912年は監督兼任
- ニューヨーク・ヤンキース(1913,1914年) ※監督兼任
[編集] 通算成績
[編集] 打撃成績
※数字の後の"(+)"は、記録不明の箇所があることを示す。
- 試合:1287
- 打数:4297
- 安打:1273
- 二塁打:200
- 三塁打:79
- 本塁打:20
- 得点:797
- 打点:596
- 盗塁:401
- 三振:29 (+)
- 四球:554
- 死球:137
- 打率: .296
- 出塁率: .394
- 長打率: .394
[編集] 獲得タイトル・記録
[編集] 監督としての戦績
- 所属:
- シカゴ・カブス(1905-1912年)
- ニューヨーク・ヤンキース(1913,1914年)
- ボストン・レッドソックス(1923年)
- 戦績:946勝648敗、勝率.593
- リーグ優勝:4回 (1906,1907,1908,1910年)
- ワールドシリーズ優勝:2回 (1907,1908年)
- レギュラーシーズン最多勝利数:116
- ※メジャーリーグ記録。2001年のシアトル・マリナーズとタイ
[編集] エピソード
[編集] 出典・外部リンク
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