フランス外人部隊
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フランス外人部隊(-がいじんぶたい, 仏語Légion étrangère, 英語French Foreign Legion)はフランスの陸軍所属の外国人志願兵で構成される正規部隊である。1831年の創設以来現代まで一貫して存続している。「フランス外国人部隊」とも言う。
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[編集] 起源
フランスに限らず、ヨーロッパではスイス人など外国人傭兵が活躍することが多かったが、近代になるとほとんどの国で軍隊は徴兵制による国民軍の形態を取った。これはフランス革命戦争およびナポレオン戦争でフランスの国民軍が他国の職業軍人集団である傭兵隊に対し圧倒的な強さを見せたからである。しかし皮肉なことに「国民軍」を生んだフランスで国民軍以外の職業的戦士集団としての外人部隊が存在し、戦闘で重要な役割を果たすことになる。その起源は1830年から始まったアルジェリア征服戦争でフランス軍人の死傷が余りに多いため、国民の非難を受けることを怖れた政府が外国人部隊の起用に踏み切ったことに始まる。1831年3月10日、ルイ・フィリップ国王が署名して成立した。このため、初期の外人部隊はアルジェリアで活躍し、その後もアルジェリアに駐屯することが多かった。そもそも外人部隊に頼る事になった元の原因は、ナポレオン戦争によるフランスの人口の激減、その後の伸び悩みに端を発していたからであった。
[編集] 戦歴
ナポレオン3世の第二帝政下でクリミア戦争、イタリア統一戦争にフランスが介入しオーストリアと戦った戦争、メキシコ遠征に参加した。とくにアンリ・デュナンが赤十字を創設するきっかけとなったソルフェリーノの戦いでは外人第2連隊がオーストリア軍と激戦を展開し、メキシコのカメロンの戦いではダンジュー大尉率いる部隊がメキシコ軍と外人部隊史上に残る激戦を展開し、メキシコ軍司令官から「こいつらは人間ではない、鬼だ」と賞賛された。普仏戦争敗戦後のパリ・コミューンを鎮圧したヴェルサイユ軍でも外人部隊3個大隊が中心的役割を果たし、清仏戦争でもインドシナ派遣軍に参加した外人部隊が清朝軍と激戦を交えた。これ以外にもスーダン、ダホメー、マダガスカル、カサブランカと植民地での活躍は数え切れない。第一次世界大戦の直前にギムナジウムの生徒だった若きエルンスト・ユンガーが冒険を求めて外人部隊に入隊している。
第一次世界大戦が勃発すると、100ヶ国を超える国の国民が外人部隊に志願し、とくに初期にはリソルジメントの英雄ガリバルディの孫が率いる「ガリバルディ旅団」がドイツ軍相手に奮戦した。1930年から1939年にかけての記録では日本人も60名参加している。なお当時最も多かったのはイタリア人約6,000人、ロシア人約5,000人であった。この頃、ゲイリー・クーパー、マレーネ・ディートリヒ主演のアメリカ映画「モロッコ」が製作され、当時の外人部隊の姿を忠実に伝えていると賞賛された。第二次世界大戦ではフランスは開戦後まもなくナチス・ドイツに降伏したため、フランス国内にいた外人部隊の多くはドイツ軍の指揮下に入り、縮小した。インドシナ植民地は日本軍の平和裡の仏印進駐を受け入れたが、フランス本国の政変(ヴィシー政府の崩壊)にともなう1945年3月の日本軍のクーデターにより外人部隊も多くの犠牲を出し、中国の雲南省に逃れた部隊もあった。
戦後始まったインドシナ戦争ではフランス国内の厭戦気分が強く、徴兵制の軍隊は使い物にならなかったため、外人部隊が重用された。1953年、ディエンビエンフーの戦いに投入されたフランス軍17個歩兵大隊中、7個大隊が外人部隊であった。当時は元ドイツ軍兵士が外人部隊に参加することが多く、ディエンビエンフーの戦場にはナチス・ドイツの軍歌が鳴り響いていた。その後勃発したアルジェリア戦争でも外人部隊の本拠地であるだけに重要な役割を果たし、1958年には第1及び第2外人落下傘連隊が参加する第10落下傘師団長マルシュ将軍を中心とするアルジェ駐屯軍がドゴール将軍を擁立して大統領の地位に就けた。しかし、ドゴール将軍はアルジェリア独立に傾いたため、1961年にはアルジェで外人落下傘連隊を中心とする反ドゴール反乱が起ったが失敗、多くの将軍や将校が逮捕された。ドゴールは外人部隊自体は解散せず、第1外人落下傘連隊を解散させるなど大幅な改編を実施、司令部をマルセイユ近郊のオーバーニュに移し、ストラスブールにも駐屯させた。 現在では、旧宗主国として第3世界の紛争への介入などの帝国主義政策など、フランス国民の生命、財産などの保護という国民軍が果たす義務の埒外でフランス国民が犠牲になるのをフランス国民とその世論が許さないダーティな任務に従事している。 最近では2002年にコートジボアールの紛争に対しフランス政府は旧宗主国として外人部隊を派遣している。
[編集] 外人部隊の仕組み
その名称から誤解される事が非常に多いが、フランス外人部隊はフランス陸軍の常設部隊である。したがって、隊員達はフランス陸軍の将校・兵士であり、傭兵ではない(「傭兵制度」はジュネーブ条約で禁止されている)。一般的に、各国の正規軍は、同盟国の軍を含めた公的組織からの人材の受け入れや、戦時における徴兵基準の緩和などの特例を除けば、その国の国籍か、市民権や永住権を持たない者の入隊をほぼ制限している。フランス外人部隊の場合は、外国籍の人間でも、フランス軍に正式に志願・入隊する事ができる特別部門、と捉えればよいだろう。
人材の構成としては、将校を除いて、フランス市民は基本的に外人部隊に志願できない。但し、例外もある。したがって、将校の殆どは、フランス軍将校であり、下士官や兵は外国人志願者である。非常に狭き門ではあるが、能力と実績があれば、外国人志願者が兵卒から叩き上げて、将校への道を歩むことも可能である。
契約期間は5年単位で、初回の契約期間を満了すれば、フランス国籍を取得できる(アメリカ合衆国で、永住権取得者が軍歴を形成する事により市民権資格への所要滞在期間短縮の恩典を受けられるのとほぼ同じ)。近年には、戦闘で負傷した者は、契約満了を待たずにフランス国籍が与えられることになっている。なお、契約期間中は、原則としてフランスの発行するパスポートを所持して行動することになる。
外人部隊への参加に際しては、かつては本籍や本名を明らかにせず、偽名での参加や名前の変更も認められていた。このため犯罪者が参加することもあった。 近年では、高卒以上の学歴や正規の国籍が要求され、経歴の調査も厳しく行われる。特に、犯罪により手配中の者や懲役刑を受けた者は参加できないなど、選抜基準は厳しくなっている。
なお、外人部隊参加者は、出身国に対する戦闘への参加は拒否できる。現在130ヶ国以上の国籍の者が部隊で活動している。
[編集] 現在の編成
以下の8個連隊+αの編成となっている。
- フランス本土
- 外人部隊司令部 南仏オーバニュ駐屯 (外人部隊総司令部)
- 第1外人連隊 南仏オ-バニュ駐屯 (司令部に付属する非戦闘部隊)
- 第4外人連隊 南仏カステルノダリ駐屯(訓練部隊)
- 外人部隊の新兵訓練は約3ヶ月間。部隊配属後の中隊教育もあり、この間にフランス語を含めた戦闘訓練を教えられる。無事に訓練を終えることができるのはごく少数で、部隊配属後も厳しさに堪えかねて脱走する新兵が絶えない。かつては、契約期間を満了するか怪我による除隊を除いて中途離脱を認めず、脱走者は八方手を尽くして探索していたが、現在は、脱走兵の探索はほとんど行わず、また訓練期間中の自発的な除隊も認めている。
- 第1外人騎兵連隊 南仏オランジュ駐屯 (戦車部隊)
- 現在の主力戦車はAMX-10RCで、主に威力偵察を担当する。
戦車部隊ではないが、偵察・対戦車攻撃部隊の第4騎兵中隊がエリート部隊として有名。
- フランス海外県
- アフリカ
[編集] 所属している(していた)日本人
- 毛利元貞(元上等兵)