第一次インドシナ戦争
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第一次インドシナ戦争(だいいちじインドシナせんそう)は1946年から1954年にベトナム民主共和国の独立に伴いフランスとの間で戦われた戦争。単にインドシナ戦争と呼んだ場合、この事を指す事が多い。
目次 |
[編集] 前史
ベトナムは19世紀末からフランスの植民地であり、ベトナム人はフランス文化を享受した一方、人種差別と偏見に満ちたフランス人の横暴や、農村での過酷な搾取に苦しめられた。ところが、第二次世界大戦中に本国がドイツに占領されると、日中戦争(支那事変)を拡大させて行き詰まっていた日本は、フランスから中国国民政府への物流を遮断する為、ヴィシー政権に近づいて仏印への日本軍進駐を認めさせ、1939年から1941年の間に段階的に進駐、全土に駐留したが、仏印の内政に関する主権は戦争末期の仏印処理までフランスにあった(仏印進駐)。
[編集] 独立宣言
1945年8月15日に日本が降伏すると、すかさず共産主義者ホー・チ・ミン(グエン・アイ・コック - 阮愛国)率いるベトナム独立同盟(ヴェトミン)はベトナム八月革命によって権力を奪取、日本が降伏文書に調印し戦争が終結した9月2日に、ハノイにおいてベトナム民主共和国の独立を宣言した。インドシナ北部での日本軍の武装解除は中国軍が当たっており、フランスは中国軍を追い出す為にさまざまな妥協を強いられたが、ベトナムにおいても、フランスはこれをフランス連邦の一員として認め、ベトナムはフランス軍の進駐を認める一時的妥協が成立した。
[編集] 戦争
フランスとベトナム民主共和国との間で交渉が続けられたが、1946年3月にフランスはベトナム南部にコーチシナ共和国を成立させる。これは、事実上フランスの傀儡政権であった。12月にはフランス軍がベトナム北部において武力攻撃を開始し、戦争が勃発した。
世界は戦勝国米国・英国とソ連の対立がいよいよ本格化し、冷戦と呼ばれる時代に移っていたが、米英側に属するフランスとしては、共産主義者のベトナム独立を容認することは政治的にできなくなっていた。
兵力・兵器面とも優位なフランス軍は順調に攻勢を進め、翌1947年2月には、大都市のフエ・ハノイを占領するに至った。ヴォー・グエン・ザップを総司令官とするベトナム人民軍は山岳地帯に撤退し、ゲリラ戦を展開。慣れない亜熱帯の山林でのゲリラ戦はフランス人を消耗させた。
フランスはベトナム人民の支持を得ようと、1949年6月にコーチシナ共和国に代わり、南部に旧阮朝のバオ・ダイを国家主席とするベトナム国を成立させるが、これもフランスの傀儡政権であったため、支持を得られなかった。また、フランスは同じインドシナのラオスを7月に、カンボジアを11月に独立させ、インドシナ全域に影響力を残しつつ、ベトナム国の正当性を強調しようとした。
1949年10月、北隣に共産主義の中華人民共和国が成立すると、翌1950年1月にソ連と中国がベトナム民主共和国(ホー・チ・ミン政権)を正統政権と認証し、武器援助を行うようになった。この承認に対抗し、アメリカはフランスとインドシナ三国に軍事援助を開始した。こうしてインドシナ戦争は、単にベトナム人民の独立運動ではなくなり、東西冷戦に否応無く組み込まれてしまったが、6月に朝鮮戦争が勃発したことにより、米ソ中各国は朝鮮半島に注目し、ベトナムに戦力を集中することは無かった。
対ゲリラ作戦に苦戦し、国内の厭戦気分も高まっていたフランスは、ベトミンが根拠地としていた東部ラオスからの補給路を断ち、ベトナムに打撃を与えるために、1953年4月にはラオス軍をベトミン占領地に侵攻させて撃退、11月にはフランス軍がハノイ北西の山岳地帯にあるディエンビエンフー盆地を占領、ここに約1万6千人を投入して要塞化した。しかし、翌1954年3月から5月にかけて、ここを包囲したベトナム軍との間で激戦が行われ、最終的に壊滅的な打撃を受けた当地のフランス軍は降伏した(ディエンビエンフーの戦い)。
[編集] 戦争終結後

ディエンビエンフーの敗北を受けて、フランスはベトナム民主共和国と和平交渉を開始し、関係国の間で和平協定であるジュネーヴ協定が成立した。これによりベトナム民主共和国の独立が承認されたのだが、戦争中にフランスを積極的に支援し、共産主義の東南アジア台頭(ドミノ理論)を恐れたアメリカは、北緯17度でベトナムを南北に分割させることにさせ、南にはフランスの傀儡政権ベトナム国を存続させた。
しかし、すぐにフランスはアルジェリアなどアフリカ植民地での事務に忙殺され、アメリカにインドシナの肩代わりを求める。ベトナム国は1955年10月、アメリカの強い影響力を受けたベトナム共和国(南ベトナム)となり、この分断国家状態が後に泥沼のベトナム戦争(1960年~1975年、第二次インドシナ戦争)の引き金になった。1956年6月にフランス軍は完全撤収し、80年に及ぶフランスのベトナム支配が終わった。
[編集] 関連項目
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