ブライトン
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ブライトン(Brighton)はイギリス・イングランド地方南東部、イースト・サセックス州西端に位置する都市である。シーサイド・リゾートとして有名であり、知名度・規模ともにイギリス有数である。観光都市であることから、ホテル・レストラン・エンターテインメント施設が多数あり、これらの施設を活かしたビジネスカンファレンスなども頻繁に開催されている。他の側面として、大学や語学学校をはじめとする教育施設が多い。このため学生が多く、パブやナイトクラブが多数あり、パーティ・タウンとしても有名である。
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[編集] 歴史
- 主要記事:History of Brighton
1086年の土地台帳によれば、ブライトンはその頃"Bristelmestune"という名で呼ばれる漁村であり、ニシン4000匹の地代が設定される村であった。1514年6月、英仏間の戦争中、ブライトン("Brighthelmstone")はフランスからの侵入に遭い、聖ニコラス教会および今日の"The Lanes"地区を除き、街は炎に包まれた。1545年に作製された絵画に当時の街の様子が描かれており、侵入の様子を伝える最も古い絵画である。
1740年代から50年代にかけて、ブライトン北部に位置するルイス村のリチャード・ラッセル医師は患者に対して、海水から生成した薬を処方し始めた。1780年までには、摂政時代(英国史において1811年-1820年を指す用語)建築様式の連棟式集合住宅の開発が始まり、漁村は海岸沿いのリゾートとしての急速な成長を始めた。1783年にはリージェント王子(後のジョージ4世)がブライトンを来訪し、彼の庇護もあり街の成長は更に著しくなった。ジョージ4世は休暇の大半をこの街で過ごし、インド風のエキゾチックで優雅な建築物であるロイヤル・パビリオンを彼の摂政時代初期に建築している。
1841年にはロンドンからの鉄道路線が敷設され、日帰り旅行者が急増し、人口も1801年の7000人程度から1901年には12万人を突破した。ヴィクトリア朝時代にはグランド・ホテル(1864年)、ウェスト・ピア(1866年)、パレス・ピア(1899年)を始めとする象徴的な建築物が登場した。
1873年から1952年にかけて、市域は何度も拡大され、1854年の1640エーカーから1952年の14347エーカーへと大きく拡大している。市域拡大によってブライトンに編入された地域には新しい宅地が開発され、都心のスラム街再開発も行われた。また、公営住宅の建て替えも進められ、ブライトンの様子はこの時期に劇的に変化した。
近年では、ブライトンは再び摂政時代のような高級で瀟洒な街という印象へと回帰している。行政面では、1997年にはブライトンは隣接するホーヴ市とともにユニタリーを形成し、2000年にはブライトン&ホーヴ市として市の権限を保障された。
[編集] ランドマーク
ロイヤル・パビリオンは1800年代初頭に王室の住居としてリージェント王子(ジョージ4世)によって建築され、インド風の概観とオリエンタルな内装が美しい、ブライトンの目玉となっている建築物である。なお、ロイヤル・パビリオンと周辺の土地はブライトン市が1849年に53,000ポンドで買い取っている。
パレス・ピア(Palace Pier、ブライトン・ピアとも呼ばれる)は1899年に完成した桟橋であり、ゲームセンターや遊園地があり、ジェットコースターなどを楽しむことが出来る。
ウェスト・ピア(West Pier)は1866年に完成し、1975年に改修のため一旦閉園された。ウェスト・ピアはイングリッシュ・へリテッジから指定建造物(Listed building)第一級に認定される、イギリス国内に2つしかない貴重な桟橋の1つであったが、、2002年12月に起こった嵐によって崩壊し、翌年に焼失した。2006年6月、ウェスト・ピアのあった場所には "i360" と呼ばれる展望台建設(設計はロンドン・アイの設計者マークスとバーフィールドによる)を行う旨が発表され、市当局によって2006年10月11日、正式に紹介された。
フォルクの電車(Volk's Electric Railway)がビーチの内陸側に沿ってパレス・ピアからブラック・ロックまでを走っており、この鉄道は世界で最も古い鉄道として有名である。
[編集] 文化
[編集] ビーチ
ビーチが最も目玉となる観光施設であり、砂浜に沿ってバー、レストラン、ナイトクラブ、およびゲームセンターが立ち並んでいる。砂浜の内陸側にもアトラクションが多数あり、時折誤って「ロンドンの海岸線」とも呼ばれる。ロンドンから日帰りで行けるビーチリゾートとして人気で、夏には多くの人が訪れる。
イギリス国内にはほとんどない公式のヌーディスト・ビーチがケンプタウン(Kemptown)地区南東部分に指定されており、大都市近郊に存在している点でも珍しいと言える。
1978年にブラック・ロック地区にあった屋外水泳プールが取り壊され、それ以来海岸線の最も東に位置する地区はヨーロッパ最大級のマリーナとして大規模に開発されている。しかしながら、プール自体があった場所はスケート・パークと落書きの壁を除いて空き地のままであり、海岸線西側に位置するホーヴ地区にあるキング・アルフレッド・レジャーセンターのような、高層ホテル建築を中心とする更なる再開発が市民とメディアの間で議論されている。
[編集] ナイト・ライフとポピュラー音楽
ブライトンはレヴェラーズやファットボーイ・スリムを始めとする著名なミュージシャンとの関係が深い街でもある。パブやナイトクラブが多いため音楽に接する機会も多く、また、ブライトン・センター(Brighton Centre)を始めとする大規模なライブが行われる施設も多数存在する。
[編集] 公式行事
政党による年次大会を中心として、ブライトンでは数多くの会議も開催されている。また、スポーツやレジャー施設の種類も豊富で、中でもサイクリングやモータースポーツが盛んであるため、毎年ロンドン-ブライトン間のレースが開催されている。
[編集] ブライトン・フェスティバル
- 主要記事:Brighton Festival
ブライトン・フェスティバルは毎年5月に開催される芸術祭である。ブライトン&ホーヴ市のいたるところで、子供たちによるパレードなどの行列、大規模な花火、映画や音楽やヴィジュアル・アートを目にすることができる。このフェスティバルの以前からの特徴として「オープン・ハウス」というコンセプトがあり、これは画家や職人などの芸術家の工房や家を一般開放し、芸術家やその同業者の作品を見てもらったり販売したりする活動である。
[編集] 博物館および美術館
ブライトンには市立ブライトン・ミュージアム・アンド・アートギャラリーやブース自然史博物館、漁業博物館、おもちゃと模型博物館など、数多くの博物館や美術館がある。私立の画廊も数多く、その一部は海岸沿いにあるアーチを利用して設置されている。中には絵画の展示・販売をカフェや場合によってはバーで行っている場合もある。
[編集] 劇場と映画
ブライトンの劇場には最近規模を拡張したコメディア(Komedia)やシアター・ロイヤル(Theatre Royal)がある。マールボロ・シアター(Marlborough Theatre)やナイチンゲール・シアター(Nightingale Theatre)といった小規模な劇場もいくつかあり、両者はともにパブの2階に位置し、マイナーだが魅力的な作品を上演している。
また、ブライトンは映画産業とのかかわりも深く、デューク・オブ・ヨーク映画館(Duke of York's Picturehouse)は1910年9月22日以来長い歴史を持つ。
- 詳しくはBrighton in filmを参照せよ
[編集] レズビアン、ゲイ、両性愛および性転換者のコミュニティ
ブライトンはLGBTコミュニティの多い街であり、LGBTを援助する団体や、関連する「シーン・ショップ」、バー、ナイトクラブなどが数多くある。よってブライトンはしばしば「イギリスにおける同性愛者の首都」とも呼ばれる。
毎年8月にはゲイ・パレードが開催されており、数多くの参加者と観衆がブライトンを訪れている。
[編集] 民族性
ブライトンには、信仰および人種、民族的な点からのマイノリティを援助する団体が数多くある。市当局も多様性を促進させる寛容な政策をとっている。
[編集] 教育
ブライトン大学があり、学生が多く住んでいる。また、近くのFalmerにはサセックス大学もある。