ブレーメン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章 | 地図 |
---|---|
![]() |
![]() |
基本情報 | |
連邦州: | ブレーメン州 |
郡: | 郡独立市 |
面積: | 325.42 km² |
人口: | 547,162人 (2006年1月31日現在) |
人口密度: | 1,682 人/km² |
失業率: | 13.6 % (2006年8月31日現在) |
標高: | 海抜 11.5 m (Markt) |
郵便番号: | 28001–28779 (旧 2800、2820) |
市外局番: | 0421 |
緯度経度: | 北緯 53度04分37秒 東経 08度48分32秒 |
ナンバープレート: | HB |
自治体コード: | 04 0 11 000 |
市の構成: | 5 市区、23小市区 |
市庁舎の住所: | Am Markt 21 28195 Bremen |
ウェブサイト: | www.bremen.de |
E-Mail: | webmaster@bremen.de |
行政 | |
市長: | イェンス・ベールンゼン (Jens Böhrnsen) (SPD) |
ブレーメン(Bremen)は、ドイツ連邦共和国の北部のヴェーザー川の河畔にある都市。ウェーゼル(Weser)川河口の北海沿岸の外港都市であるブレーマー・ハーフェン市とともに自由ハンザ都市ブレーメン(ブレーメン州)を構成する。1998年の人口は55万人。
目次 |
[編集] 概要
その起源は、 BremeもしくはBremumと呼ばれる部族が、ヴェーゼル(Weser)川の右岸に定住したことに始まるとされる。この地は、ライン川からエルベ川、 または北海から南ドイツに向かう交易の十字路に位置しているため、交易の要衝として重要視されていた。787年に、カール大帝はブレーメンに司教管区を設置したが、845年には大司教管区に格上げされ、 北ドイツ及び北欧へのキリスト教布教の拠点となった。
1358年にはハンザ同盟に加盟し、 経済のみならず政治的にも極めて重要な都市へと発展する。
ブレーメンは、共和制の自治都市としては、ドイツで最も古い歴史を持つ。神聖ローマ帝国時代においても、ブレーメンは帝国自由都市の地位を確保していた。また、ドイツ史上有数の惨禍であった三十年戦争の際も、かつてのハンザ同盟の仲間であったハンブルク、リューベックと同盟を結び、独立を守りきることが出来た。しかし、その講和条約である1648年のヴェストファーレン条約では、スウェーデンに支配権が引き渡されており、事実上スウェーデンの宗主下にあったと言ってもよかった。ブレーメンとスウェーデンの解釈は共に異なっており、三十年戦争後しばらくその帰属を巡って紛議が行われたが決着は着かなかった。現在では、スウェーデンの宗主下に入っていたと言う解釈が一般的である(いわゆるレーエン体制)。しかし、この問題が解決しないうちに、1700年代に始まった大北方戦争の結果、ハノーファー選帝侯に引き渡される事となった(1721年、ストックホルム条約)。ブレーメンは、1866年までハノーファー王国の主権下にあったが、同年の独墺戦争後、プロイセン王国に併合された。
第二次世界大戦の際には、連合軍の爆撃で壊滅的な被害を被り、街の69%が破壊されたといわれている。しかし戦後、復元工事が行われ、昔の美しい街並みは見事に復元されている。
ブレーメンの音楽隊でも有名。旧市街の市庁舎横に音楽隊の像(ロバ、イヌ、ネコ、ニワトリ)が立てられている。
[編集] 文化・観光
マルクト広場に面して市庁舎、その前にローラント像が立っている。この二つは世界遺産に登録されている。
広場の東側に二つの塔がある聖ペトリ大聖堂、市庁舎の隣にリープフラウエン教会がある。