ペレ
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エドソン・アランテス・ド・ナシメント KBE(Pelé, 本名Edson Arantes do Nascimento, 1940年10月23日 - )は、ブラジルトレス・コラソンエス出身の元サッカー選手。
[編集] 概要
20世紀最高、あるいはサッカー史上最高と評される選手。「サッカーの王様」と称される。
171センチと小柄であるが身体能力が抜群で、バランス感覚に優れ自身より大柄な相手ディフェンダーの激しいタックルにも当たり負けしなかった。ペレのプレースタイルは、「パーフェクトバランス」という言葉に集約される。ペレは左右の足を完璧に、強弱の差なく使いこなした唯一のプレーヤーであるともいわれる。また、小柄ながら並外れた跳躍力で打点の高いヘディングも得意としており、さらに100メートルを10秒台で走る俊足を持ち合わせているなど、サッカー選手に必要な全ての才能を持ち合わせていた。 その一方で、自分勝手で傲慢なプレーに走ることは決してなく、自らのゴールを減らしてでも周りの選手の能力を最大限に引き出す献身的なプレイヤーでもあった。
自らの実力に絶対の自信を持ち、マラドーナやミシェル・プラティニも上回ると自らを評するヨハン・クライフが、唯一賞賛を惜しまない相手こそ、このペレである。
ブラジル代表デビューは1957年7月7日で、当時まだ16歳。ワールドカップには、1958年のスウェーデン大会に17歳で初出場。準決勝でジュスト・フォンテーヌを擁するフランスを相手にハットトリックを達成し、世界中を驚かせた。その後計4大会に出場し、3度の優勝に大きく貢献。 ワールドカップでは、「ヨーロッパ大会では南米勢は優勝できない」、というジンクスがあるが、スウェーデン大会で唯一このジンクスを破ったのがペレである(ワールドカップのもう一つのジンクスである「開催国は強い」というジンクスから、スウェーデンが優勝する事が予測されたが、ペレの技がそのジンクスを上回った事になる。その上手さは、ペレがゴールしたとき、スウェーデンのディフェンス陣が、余りにも見事に抜かれたためペレの元へ祝福に駆け寄った、という逸話がある)。 1954年に14歳でデビューしてから1977年に引退するまで、実働23年。生涯通算成績、1363試合出場、1281ゴール。 公式記録として残っているものの中では、世界最高の記録である。 1試合5得点が6回、4得点が30回、ハットトリックはなんと92回。1試合最多得点は8点。
ペレは後述のエピソードが表すように人格的にも非常に尊敬されており、引退後も仕事が後をたたなかった。この為ペレが生涯稼いだ金は現役時代よりも、引退後の仕事で得た報酬のほうが多い。
スパイク契約はプーマである(後年プーマのCMにも出演した)。彼にあやかってプーマのスパイクを愛用したサッカー選手は数多い。
[編集] エピソード
現役時代には、ペレのプレーを見るためにナイジェリアとビアフラの内戦が中断した、ペレの暴言にレッドカードを出した主審が逆に退場を命じられる、ユベントスにいたっては、ペレに対し「好きな金額を書いてください」と言わんばかりに白紙の小切手を送ってきた、など数々の逸話がある。
- 1981年にはサッカーを題材とした映画「勝利への脱出」(原題:ESACEPE TO VICTORY)に出演。
- 1995年から3年間はブラジルのスポーツ長官を務め、他にも多くのスポーツ団体への寄付など、スポーツ普及のため尽力。
- 1999年にブラジルで自動車強盗に遭遇したが、強盗に向かって「ペレだが」と告げたところ強盗は「すみません」と謝って何も盗らず逃走したという。以前自動車強盗にあったロマーリオは金を奪われたため、やはり選手としての格が違うと語られることになった。
- バイアグラのCMに出演していたことがあるが、ペレ自身はEDではない。94年には22歳年下の女性と再婚し、前の夫人との間に1男2女、現在の夫人の間に2女、隠し子で1女の計1男6女がいる。
- 「ペレ」の愛称の由来はペレの父親の所属していたサッカーチームのGKのベレの大ファンであったが、そのころのペレは幼かったのでBの発音が出来なくてPと言っていたのでPel?が愛称になった。本人は少年時代はこの呼び名を好んでおらず、友人と喧嘩になったこともある。
- ブラジルの国民的英雄のひとりではあるが、ブラジル中に隠し子がいるというスキャンダルもあり、ブラジル人からはペレよりジーコの方がより英雄視されているという。
- FIFAワールドカップの優勝国予想がことごとく外れ続けることで有名であったが、2006年ドイツ大会のイタリアの優勝で、連敗にピリオドを打った。
- 2002年のF-1ブラジルグランプリでゲストに招かれ、チェッカーフラッグを振る役を任された。しかし最終ラップでスタッフと打ち合わせしている間に1位のミハエル・シューマッハ、2位のラルフ・シューマッハが通過してしまい、3位からようやくチェッカーを振るという珍事となった。
[編集] 所属クラブ
- 1954 - 56 : バングー
- 1956 - 74 : サントス
- 1974 - 77 : ニューヨーク・コスモス (アメリカ)
ブラジル代表 - 1970 FIFAワールドカップ 優勝メンバー (3度目) | ||
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1 フェリックス | 2 ブリト | 3 ピアッザ | 4 カルロス・アウベルト | 5 クロドアウド | 6 マルコ・アントニオ | 7 ジャイルジーニョ | 8 ジェルソン | 9 トスタン | 10 ペレ | 11 リベリーノ | 12 アドゥ | 13 ロベルト・ミランダ | 14 バウドッチ | 15 フォンタナ | 16 エヴェラウド | 17 ジョエウ | 18 パウロ・セザル | 19 エドゥ | 20 ダリオ | 21 ゼ・マリア | 22 レオン | 監督: ザガロ |
ブラジル代表 - 1962 FIFAワールドカップ 優勝メンバー (2度目) | ||
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1 ジウマール | 2 D.サントス | 3 マウロ | 4 ジト | 5 ゾジモ | 6 N.サントス | 7 ガリンシャ | 8 ジジ | 9 コウチーニョ | 10 ペレ | 11 ペペ | 12 ジャイール M. | 13 ベリーニ | 14 ジュランジール | 15 アウタイール | 16 ゼキーニャ | 17 メンガウヴィオ | 18 ジャイール | 19 ババ | 20 アマリウド | 21 ザガロ | 22 カスチーリョ | 監督: モレイラ |
ブラジル代表 - 1958 FIFAワールドカップ 優勝メンバー (初) | ||
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1 カスチーリョ | 2 ベリーニ | 3 ジウマール | 4 D.サントス | 5 ジノ・サニ | 6 ジジ | 7 ザガロ | 8 オレコ | 9 ゾジモ | 10 ペレ | 11 ガリンシャ | 12 N.サントス | 13 モアシール | 14 デ・ソルジ | 15 オルランド | 16 マウロ | 17 ジョエウ | 18 マゾーラ | 19 ジト | 20 ババ | 21 ジダ | 22 ペペ | 監督: フェオラ |
先代: テオフィロ・クビジャス |
南米年間最優秀選手 1973 |
次代: エリアス・フィゲロア |