ブラジルグランプリ
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ブラジルグランプリ(ブラジルGP, Brazilian Grand Prix)は、ブラジルで1973年以降行われているF1のレースのひとつ。
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[編集] 概要
1978年及び1981年から1989年にはリオ・デ・ジャネイロの郊外にあるジャカレパグアで実施されたこともあったが、それ以外の年についてはサンパウロ郊外にあるインテルラゴスで行われている。
従来は3月末から4月初の時期に開催されることが多く、10回が開幕戦(それ以外も第2戦、第3戦)として実施されてきたが、2004年にバーレーンGPがイスラム教の断食月ラマダンと重なることを避けてシーズン序盤開催となったことを受け、一転して最終第18戦に実施された。
[編集] 過去のレース結果と開催サーキット
- 第1回目のブラジルGPでは、地元出身で前年ワールドチャンピオンに輝いたエマーソン・フィッティパルディが優勝を飾った。なお、フィッティパルディは翌年も優勝したほか、自ら立ち上げたチーム・フィッティパルディで1978年に2位に入賞している。
- 多くのグランプリにおいて、最多勝記録は1990年代から2000年代にかけて活躍したミハエル・シューマッハによって塗り替えられたが、ブラジルGPでは1980年代から1990年にかけ6勝を挙げたアラン・プロストが最多勝記録を保持している(シューマッハは4勝を挙げた)。チームとしては、マクラーレンが強く通算で11勝を挙げており、フェラーリ(8勝)、ウィリアムズ(6勝)がそれに続いている(2006年終了時点)。
- 第1回ブラジルGPを制したフィッティパルディ、5回目の挑戦で優勝したネルソン・ピケといった過去の2名のブラジル人チャンピオンと異なり、アイルトン・セナはなかなかこの母国GPを制することができずにいたが、8度目の挑戦となった1991年にレース終盤に6速ギヤのみの走行となる苦闘を切り抜けた末に悲願の初優勝を果たした。
- 1995年は、使用燃料違反により、1位のミハエル・シューマッハと2位のデビッド・クルサードに対して表彰台の後に失格との裁定が下され、一旦は3位のゲルハルト・ベルガーの繰上り優勝が発表されたが、その後再度下された裁定により当初のリザルトが復活し、シューマッハの優勝とクルサードの2位、両名へのドライバーズポイントの授与は認められた上で、所属チームのベネトン、ウィリアムズに対するコンストラクターズポイントのみが剥奪されるという玉虫色の裁定となった。なお、両チームとも同じエルフ社の燃料を使用していた。
- 2003年は、大雨で混乱したレースとなり、最後は赤旗によりレース終了。一旦はキミ・ライコネンの優勝として表彰式も執り行われたが、その後の裁定によりジョーダン・フォード(コスワース)のジャンカルロ・フィジケラの優勝が発表されることとなった(優勝カップ授与は翌戦のサンマリノGPで行われた)。この優勝は、フィジケラにとってのF1初優勝となったほか、フォード-コスワースエンジンにとっては1999年のヨーロッパGPでのジョニー・ハーバート以来の優勝となり、フォードと、2006年限りで供給先を失い2007年以降は参戦していないコスワースにとって、最後のF1優勝となっている。
- 2005年のレースでは、3位入賞したフェルナンド・アロンソがドライバーズチャンピオンを確定させた。これはエマーソン・フィッティパルディの持つ史上最年少チャンピオン記録を実に33年ぶりに塗り替えるものであった。また、ブラジルGPでタイトルが決まった初の例となった。
- 2006年のレースでは、フェラーリの、ミハエル・シューマッハの最終レースとなった。わずかながらにタイトルの可能性を残したが、予選中にまさかのマシントラブルに見舞われ、予選10位に後退。その後、シューマッハの左リアタイヤと、ジャンカルロ・フィジケラのフロントウイングが接触し、シューマッハがパンク。タイヤ交換を余儀なくされ、最後尾に後退。しかしその後、怒涛の追い上げで4位に入り、チャンピオンはフェルナンド・アロンソのものになったが、世界中がシューマッハの走りに酔いしれた。結果は、シューマッハのチームメートである、フェリペ・マッサが優勝した。ブラジル人によるブラジルグランプリ優勝は、1993年アイルトン・セナ以来13年ぶりとなった。
- 各レースの結果は下記の通り。
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | 所属チーム |
---|---|---|---|---|---|
1973 | 2月11日 | 2 | インテルラゴス | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス |
1974 | 1月27日 | 2 | インテルラゴス | エマーソン・フィッティパルディ | マクラーレン |
1975 | 1月26日 | 2 | インテルラゴス | カルロス・パーチェ | ブラバム |
1976 | 1月25日 | 1 | インテルラゴス | ニキ・ラウダ | フェラーリ |
1977 | 1月23日 | 2 | インテルラゴス | カルロス・ロイテマン | フェラーリ |
1978 | 1月29日 | 2 | ジャカレパグア | カルロス・ロイテマン | フェラーリ |
1979 | 2月4日 | 2 | インテルラゴス | ジャック・ラフィー | リジェ |
1980 | 1月27日 | 2 | インテルラゴス | ルネ・アルヌー | ルノー |
1981 | 3月29日 | 2 | ジャカレパグア | カルロス・ロイテマン | ウィリアムズ |
1982 | 3月21日 | 2 | ジャカレパグア | アラン・プロスト | ルノー |
1983 | 3月13日 | 1 | ジャカレパグア | ネルソン・ピケ | ブラバム |
1984 | 3月25日 | 1 | ジャカレパグア | アラン・プロスト | マクラーレン |
1985 | 4月7日 | 1 | ジャカレパグア | アラン・プロスト | マクラーレン |
1986 | 3月23日 | 1 | ジャカレパグア | ネルソン・ピケ | ウィリアムズ |
1987 | 4月12日 | 1 | ジャカレパグア | アラン・プロスト | マクラーレン |
1988 | 4月3日 | 1 | ジャカレパグア | アラン・プロスト | マクラーレン |
1989 | 3月26日 | 1 | ジャカレパグア | ナイジェル・マンセル | フェラーリ |
1990 | 3月25日 | 2 | インテルラゴス | アラン・プロスト | フェラーリ |
1991 | 3月24日 | 2 | インテルラゴス | アイルトン・セナ | マクラーレン |
1992 | 4月5日 | 3 | インテルラゴス | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ |
1993 | 3月28日 | 2 | インテルラゴス | アイルトン・セナ | マクラーレン |
1994 | 3月27日 | 1 | インテルラゴス | ミハエル・シューマッハ | ベネトン |
1995 | 3月26日 | 1 | インテルラゴス | ミハエル・シューマッハ | ベネトン |
1996 | 3月31日 | 2 | インテルラゴス | デイモン・ヒル | ウィリアムズ |
1997 | 3月30日 | 2 | インテルラゴス | ジャック・ヴィルヌーヴ | ウィリアムズ |
1998 | 3月29日 | 2 | インテルラゴス | ミカ・ハッキネン | マクラーレン |
1999 | 4月11日 | 2 | インテルラゴス | ミカ・ハッキネン | マクラーレン |
2000 | 3月26日 | 2 | インテルラゴス | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ |
2001 | 4月1日 | 3 | インテルラゴス | デビッド・クルサード | マクラーレン |
2002 | 3月31日 | 3 | インテルラゴス | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ |
2003 | 4月6日 | 3 | インテルラゴス | ジャンカルロ・フィジケラ | ジョーダン |
2004 | 10月24日 | 18 | インテルラゴス | ファン・パブロ・モントーヤ | ウィリアムズ |
2005 | 9月25日 | 17 | インテルラゴス | ファン・パブロ・モントーヤ | マクラーレン |
2006 | 10月22日 | 18 | インテルラゴス | フェリペ・マッサ | フェラーリ |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
F1世界選手権: |
2007年に開催されるGP: オーストラリア | マレーシア | バーレーン | スペイン | モナコ | カナダ | アメリカ | フランス |
かつて開催されていたGP: アルゼンチン | オーストリア | サンマリノ | オランダ | インディ500 | ルクセンブルグ | メキシコ | モロッコ | |