ホウシュウエイト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1970年3月29日 |
死没 | 1990年2月21日 |
父 | チャイナロック |
母 | ブゼンタカフジ |
生産 | 木戸口牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 上田清次郎 |
調教師 | 日迫清(栗東) |
競走成績 | 19戦8勝 |
獲得賞金 | 1億1326万8500円 |
ホウシュウエイトは、日本の競走馬。昭和48年世代。同期はハイセイコー・タケホープ・イチフジイサミ。
当時は現在と違い弱かった関西勢の中では一番強かった。皐月賞はハイセイコーとのチャイナロック産駒の対決が大いに喧伝され、ハイセイコーの39秒台の上がりタイムに対し同馬の36秒台が上位と言う様な馬場差を考えないと言う信じられない比較が生まれたりした。結果はカネイコマにも競り負けハイセイコーからは2馬身半プラスハナ差をつけられた。ダービー・菊花賞とも4着と関西馬最先着を果たすも実力的には劣ってしまった。5歳時(現在表記4歳)秋の京都大賞典でタニノチカラから4馬身差の2着。ハイセイコー(4着)には先着したものの3着スカイリーダともハナ差。3着4着もハナ差。タニノチカラの強さばかりが目立った。主な勝ち鞍は毎日杯・日経新春杯。父チャイナロックにはハイセイコーよりも同馬が似ていた。
脚部不安から立ち直れず、ハイセイコー・タケホープのラストランとなった1974年12月15日に開催された有馬記念が、皮肉にもホウシュウエイト自身のラストランともなった。その後は北海道鵡川の西山牧場で種牡馬生活を始めたが、大きな成功を収められずに終わった。代表産駒はニシノカブトザン(中京3歳ステークス)。種牡馬成績不発だった事を除けば平穏な生活を送っていたホウシュウエイトだったが、病魔には勝てず1990年2月21日脳出血の為に突然この世を去った。