ボヘミアン・ラプソディ
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ボヘミアン・ラプソディ | ||
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クイーン の シングル | ||
リリース | 1975年10月31日 | |
録音 | 1975年 | |
ジャンル | ロック | |
時間 | 5分55秒 | |
レーベル |
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プロデュース | ロイ・ベイカー | |
クイーン 年表 | ||
ナウ・アイム・ヒア (1975年) |
ボヘミアン・ラプソディー (1975年) |
マイ・ベスト・フレンド (1976年 |
『ボヘミアン・ラプソディ』(Bohemian Rhapsody; ボウヒーミアン・レプサディ)は、クイーンが1975年に発表した、フレディ・マーキュリー作の楽曲。アルバム『オペラ座の夜』に収録。また、演奏時間が長すぎるために、内部で議論となったが、同年にそのままシングルカットされ(B面はロジャー・テイラー作の『アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー』。アルバムバージョンの冒頭に、効果音が付加されたバージョン)、世界中で大ヒット。本国イギリスでは9週連続1位を獲得した。
同時にプロモーションビデオも製作され(明確な意味でのプロモーションビデオとしては世界初と言われる)、その視覚的重要性を、当時の業界関係者や、他のミュージシャンらに認識させることとなった。
さらに、エイズによる肺炎が元でフレディが死去した直後の1992年にも、シングルCDとして再発され、同じく多くの国々で1位となる。この時の印税は、エイズ基金などの研究機関や関係慈善団体などに寄付された。
2002年にはギネスブックを発行しているギネス・ワールド・レコーズ社が31000人以上から取った英国史上最高のシングル曲は?というアンケートの結果、イマジン(ジョン・レノン)やヘイ・ジュード(ビートルズ)を抑えて見事No.1に輝いた(授賞式にはロジャーとブライアンが出席)。
曲の構成は冒頭から順に
となっている。
ヒットしたためにステージ演奏が要求されたが、当然バンドのメンバー4人での通奏や完全再現は不可能であった。
初期のステージでは分割した形で、2.と4.とをそれぞれ、別々の曲と組み合わせた、メドレー形式として演奏された。その後、中期以降においては、ほぼ1曲通して演奏されることとなったが、1.は省略して、2.のイントロ相当部分のフレーズの繰り返し、ないしは独自のピアノ弾き語り部分を、冒頭に付加して行われた。3.はテープのみを流し、その間に、衣装を変えて再登場して4.以降をライヴ演奏するなどの視覚的効果も加えられた。
当時の日本では、16トラック録音が主体であったために、一部業界関係者内でも誤解が生じているが、母国イギリスの関係スタッフの証言によると、この曲の録音は、24トラックレコーダーを使用して行われた、という。しかし、ブライアン・メイがオペラ座の夜30周年記念盤のインタビューで「当時は16トラックだった」と語っていることから見解の分かれるところでもある。
キーポイントでもあり、ライヴ再現での大きな障害ともなっている3.のコーラスの録音は、ドラムセットのうちのバスドラやシンバル、ピアノ、エレキベース、リードボーカルといった、実際にミックスされている正式パートの他、仮歌とリードギターといった、ミックスされないトラックを除く残りのトラックに、フレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーといった、歌える3人のメンバーがオーバーダビングし、それらを順次何度もピンポン録音することによって、180~200人分かそれ以上の「声の効果」を出そうとしたものであり、実際にそれくらいの声が重ねられている。
聖飢魔IIのヴォーカリストのデーモン小暮閣下は、TV出演時に独唱でこの曲を歌っている。 「タモリの音楽は世界だ」「ROCK FUJIYAMA」等‥。
カテゴリ: クイーン | ポピュラーソング | 1975年のシングル