マイク・ブライアン
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マイク・ブライアン |
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基本情報 |
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英語名 | Mike Bryan |
フルネーム | Michael Carl Bryan |
愛称 | マイク |
国籍 | ![]() |
出身地 | 同・カリフォルニア州カマリロ |
生年月日 | 1978年4月29日 |
身長 | 190cm |
体重 | 87kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1998年 |
ツアー通算 | 38勝 |
シングルス | 0勝 |
ダブルス | 38勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | シングルス出場なし |
全仏 | シングルス出場なし |
全英 | シングルス出場なし |
全米 | 1回戦(2001) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 246位 |
ダブルス | 1位 |
Template |
マイク・ブライアン(Mike Bryan, 1978年4月29日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州カマリロ出身の男子プロテニス選手。双子の兄弟であるボブ・ブライアンとともに「ブライアン兄弟」のダブルスとして活躍している。フルネームは Michael Carl Bryan (マイケル・カール・ブライアン)という。身長190cm、体重87kgで、マイクは右利きである。兄弟2人ともシングルスにはほとんど出場せず、ダブルスのみに活動を絞っている。マイクはこれまでに、ATPツアーでダブルス38勝を挙げている。マイクの優勝回数がボブの総計を2つ上回っているのは、2002年にマーク・ノールズ(バハマ)、マヘシュ・ブパシ(インド)と組んで1勝ずつ獲得したためである。
1978年4月29日にアメリカ・カリフォルニア州カマリロで双子の兄弟が誕生した時、マイケル・カールは双子の兄として2分先に生まれた。ブライアン兄弟は両親ともにテニスのコーチで、双子の兄弟は2歳の頃から両親にテニスを学んだ。2人の兄弟は早くから、トーナメントのシングルスで「兄弟対決」を両親に禁じられてきたという。2人とも1997年から1998年の2年間スタンフォード大学に在学し、NCAA主催のテニス大会で活躍した。マイクもボブと同じ1998年からプロテニス選手に転向した。2001年から双子の兄弟のペアはATPツアーで優勝できる力をつけ、この年に年間4勝を挙げる。2003年の全仏オープン男子ダブルスで、2人は4大大会男子ダブルス部門で初優勝を達成し、決勝で連覇を狙ったエフゲニー・カフェルニコフ&ポール・ハーフース組(オランダ)を 7-6, 6-3 で破った。同年に全米オープンでもダブルス決勝に進んだが、トッド・ウッドブリッジ(オーストラリア)&ヨナス・ビョークマン(スウェーデン)組に 7-5, 0-6, 5-7 の逆転で敗れて準優勝になり、年間2冠獲得を逃している。この年は男子テニス年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」のダブルス部門でも、フランスペアのファブリス・サントロ&ミカエル・ロドラ組を破って初優勝を飾った。しかし、2004年の全豪オープン男子ダブルス決勝では、サントロ&ロドラ組に 6-7, 3-6 で敗れている。2人は2004年アテネ五輪のアメリカ代表選手にも選ばれたが、ここでは準々決勝でチリ代表のニコラス・マスー&フェルナンド・ゴンザレス組に敗退した。全米オープンは3回戦敗退に終わったが、テニス・マスターズ・カップで大会2連覇がある。
2005年のシーズンに、マイクとボブはすべての4大大会で男子ダブルス決勝に進出した。全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドンの3大会連続で準優勝止まりだった2人だが、ついに全米オープンで4大大会ダブルス2勝目を達成する。2006年のウィンブルドンまで、2人は「7大会連続」で4大大会ダブルス決勝に出場した。全豪オープン決勝ではリアンダー・パエス(インド)&マルティン・ダム(チェコ)組を 4-6, 6-3, 6-4 で破って4大大会3勝目を獲得したが、全仏オープンではマックス・ミールヌイ(ベラルーシ)&ヨナス・ビョークマン組に敗れ、2年連続の準優勝で止まった。ウィンブルドンではファブリス・サントロ(フランス)&ネナッド・ジモンイッチ(セルビア)組を 6-3, 4-6, 6-4, 6-2 で破り、男子テニス界では史上6組目となる「同一ペアによるキャリア・グランドスラム」を達成した。
マイク・ブライアンは混合ダブルスでは、2003年の全仏オープンでリサ・レイモンドと組んだ優勝があり、この大会ではボブとの男子ダブルスも合わせて2部門制覇を達成した。しかし、2001年のウィンブルドン混合ダブルスではリーゼル・フーバー(南アフリカ)と組んで準優勝に止まり、2002年の全米オープンではカタリナ・スレボトニクと混合ダブルスのペアを組んだが、決勝でボブとネットをはさんだ“兄弟対決”になり、ボブとリサ・レイモンドの組に敗れている。
マイク・ブライアンの4大大会シングルス唯一の出場は、2001年全米オープン1回戦で第2シードのアンドレ・アガシに 4-6, 1-6, 0-6 で敗れた試合のみである。
[編集] 4大大会ダブルス優勝
- 全豪オープン:2勝(2006年&2007年) [準優勝2度:2004年、2005年]
- 全仏オープン:1勝(2003年) [準優勝2度:2005年、2006年]
- ウィンブルドン:1勝(2006年) [準優勝1度:2005年]
- 全米オープン:1勝(2005年) [準優勝1度:2003年]
[編集] 男子ダブルスの4冠達成ペア
- フランク・セッジマン&ケン・マグレガー (ともにオーストラリア、1951年に唯一の「年間グランドスラム」)
- ケン・ローズウォール&ルー・ホード (ともにオーストラリア、1953年 → 1956年)
- ロイ・エマーソン&ニール・フレーザー (ともにオーストラリア、1959年 → 1962年)
- ジョン・ニューカム&トニー・ローチ (ともにオーストラリア、1965年 → 1967年)
- マーク・ウッドフォード&トッド・ウッドブリッジ (ともにオーストラリア、1992年 → 2000年)
- ヤッコ・エルティン&ポール・ハーフース (ともにオランダ、1994年 → 1998年)
- ボブ・ブライアン&マイク・ブライアン (ともにアメリカ、2003年 → 2006年)