モナコ・マイスター
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モナコ・マイスター(Monaco Meister)は、F1レースの一つであるモナコGPに強かったグラハム・ヒルの二つ名。現在では、特にモナコGPを得意とするドライバーをこの名で呼び賞賛する。マイスターとはドイツ語で「名人、達人」の意。
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[編集] 解説
このグランプリが開催されるモンテカルロ市街地コースは実に攻略が難しく、追い抜きもしにくいコースであり、勝利するのは困難なレースである。モナコGPではマシンの性能差以上にドライバーの技量差が顕著になり、ドライバーの腕が試されるコースとしても有名である。また、道幅が狭いため事故が起きやすく、生き残るためには強運も必要とされる。 このため「モナコGPでの1勝は、他のレースの2勝に値する」と言われ、レーサーにとって非常に栄誉なものと考えられている。モナコGPで複数回優勝を果たしたドライバーは特別な才能を讃えられ、「モナコ・マイスター」としてモータースポーツ史に名を残すこととなる。
[編集] 過去のモナコ・マイスター
[編集] スターリング・モス
無冠の帝王の異名で有名なスターリング・モスであるが、実はモナコが得意で3勝(1955年, 1960年 - 1961年)を挙げている。特に、1960年と1961年はマシン性能が劣る旧型のロータスで勝利し、卓越したドライビングテクニックを見せ付けている。但し、ファン・マヌエル・ファンジオやモーリス・トランティニアンと1勝しか違わない事もあり、彼をモナコ・マイスターに含まない例が多い。
[編集] グラハム・ヒル
グラハム・ヒルはこのモナコGPで5勝(1963年 - 1965年, 1968年 - 1969年)を挙げ、モナコ・マイスター(モナコ職人)と呼ばれて絶賛された。
[編集] アラン・プロスト
3連勝を含む4勝(1984年 - 1986年, 1988年)を挙げているアラン・プロストもモナコ・マイスターと呼ばれることがある。
[編集] アイルトン・セナ
アイルトン・セナもこのモナコGPを得意としモナコ・マイスターと呼ばれ、5連勝を含む通算6勝(1987年, 1989年 - 1993年)を挙げた。中でも、1992年には当時最強を誇っていたウィリアムズ・ルノーのナイジェル・マンセルがレース終盤にタイヤ交換をしたり、1993年にはポールスタートのウイリアムズ・ルノーのアラン・プロストがレーススタート時にフライングを犯し、予選2位のベネトン・フォードのミハエル・シューマッハもトラブルでリタイアという様に、次々と「神懸り」的な出来事が起こってセナが勝利を収めたことは人々を驚かせた。
[編集] ミハエル・シューマッハ
2005年までで通算5勝(1994年 - 1995年, 1997年, 1999年, 2001年)を挙げているミハエル・シューマッハもモナコ・マイスターと呼ばれることが多い。
[編集] その他のマイスター
[編集] レイン・マイスター(Regen Meister)
レインとはドイツ語で「雨」のこと。タイヤのグリップが大幅に低下する雨中のレースでは、マシンの性能よりドライバーの技量が物をいう場合が多い。また、天候の変化に応じて路面状況を読み、タイヤ交換を行う判断力や、濡れた路面をドライタイヤで走る(あるいは乾いた路面をレインタイヤで走る)忍耐力も問われる。
- アイルトン・セナ
- 1984年のモナコGPでは非力なトールマン・ハートでマクラーレン・ポルシェのアラン・プロストを追い上げ2位を獲得。1985年のポルトガルGPでは、2位に大差をつけて初優勝した。1991年、1993年の地元ブラジルGPでも印象的な勝利を挙げた。とりわけ1993年のヨーロッパGPでは、1周目に4台を抜く異次元の速さを見せつけた。
- ミハエル・シューマッハ
- 1992年のベルギーGPで、タイヤ交換を利して初優勝。1995年の同じくベルギーGPでは予選16番手から勝利を挙げた。1996年のスペインGPでは、3位以下を周回遅れにする圧勝で、フェラーリ移籍後初勝利を挙げた。
[編集] ネーベル・マイスター(Nebel Meister)
ネーベルとはドイツ語で「霧」のこと。かつてドイツのニュルブルクリンク、ベルギーのスパ・フランコルシャンなどの旧コースは全長10km以上あり、山間のため霧が発生することもあった。視界が著しく遮られる中で走るには、危険察知力と度胸が試された。