モンテプリンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1977年4月1日 |
死没 | 2002年8月29日 |
父 | シーホーク |
母 | モンテオーカン |
生産 | 杵臼斉藤牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 毛利喜八 |
調教師 | 松山吉三郎(美浦南) |
競走成績 | 24戦7勝 |
獲得賞金 | 3億4787万1000円 |
モンテプリンスは、日本の競走馬。蹄の形などの問題で道悪馬場を大の苦手としたことから「太陽の王子」との異名を持つ。全弟にモンテファスト(天皇賞(春))がいる。1982年「優駿」ドリーム賞(特別賞)受賞。
目次 |
[編集] 戦歴
新馬戦2戦を連続2着と勝てなかったモンテプリンスは以降主戦騎手となる吉永正人が騎乗した3戦目の未勝利戦で勝利した。しかし、その後は苦手な道悪馬場(クラシック第1戦・皐月賞等)となったレースが多く、400万条件特別で1勝しただけであった。
だが、待望の良馬場で迎えたNHK杯において2番人気ながら後続に7馬身差で圧勝したことにより東京優駿(日本ダービー)においても1番人気を集めた。ところが、肝心のレースは最後の直線で先頭に立つもオペックホースの一世一代の強襲の前にクビ差の2着と敗れた。
秋のセントライト記念を制したものの続く京都新聞杯は道悪で5着。菊花賞では1番人気を集めたものの、 ここでもノースガストの直線強襲の前に2着と敗れる。
5歳時(当時の表記)には結局勝ち星を挙げることができず、ホウヨウボーイなどに主役を譲った印象もあったが、6歳になって東京新聞杯で久々に勝ち星を挙げると中山記念(2着)を一叩きし、5歳にしてついに初のGI級競走、天皇賞(春)を制した。これは吉永正人にとっても初めての八大競走制覇である。現在でいうGI級の競走での惜敗が多かったため「無冠の帝王」というありがたくないニックネームがつけられていたが、それを返上した。関西テレビの杉本清アナウンサーはかつてのタイテエム(同じく天皇賞春でG1級初制覇)と比較し、「無冠の貴公子に春が訪れてから9年目、無冠のプリンスにも春が訪れました。」と実況している。
続く宝塚記念も制した。その後休養に入ったが、年末の有馬記念では体調不良のままファンの声に応える形で出走するも11着と惨敗し、そのまま現役を引退した。
[編集] 引退後
種牡馬としては、産駒にグレートモンテ(札幌記念、愛知杯)、サークルショウワ(クイーンカップ)などを輩出した。また、種牡馬生活の晩年は東京大学農学部の牧場に繋養されていた。
[編集] 競走成績
1979年(5戦2勝)
1980年(9戦2勝)
- NHK杯、セントライト記念、2着 - 東京優駿(日本ダービー)、菊花賞
1981年(5戦0勝)
- 2着 - 天皇賞(秋)、3着 - 有馬記念
1982年(5戦3勝)
- 天皇賞(春)、宝塚記念、東京新聞杯、2着 - 中山記念
[編集] 血統表
モンテプリンスの血統 (エルバジェ系(ダークロナルド系)/Umidwar・Udaipur5×4=9.38%、Firdaussi5×5=6.25%、Blandford5×5=6.25%) | |||
父
*シーホーク Sea Hawk 1963 芦毛 |
Herbager 1956 鹿毛 |
Vandale | Plassy |
Vanille | |||
Flagette | Escamillo | ||
Fidgette | |||
Sea Nymph 1957 芦毛 |
Free Man | Norseman | |
Fantine | |||
Sea Spray | Ocean Swell | ||
Pontoon | |||
母
モンテオーカン 1967 鹿毛 |
* ヒンドスタン Hindostan 1946 黒鹿毛 |
Bois Roussel | Vatout |
Plucky Liege | |||
Sonibai | Solario | ||
Udaipur | |||
* マリアドロ Maria d'Oro 1957 黒鹿毛 |
Big Game | Bahram | |
Myrobella | |||
Golden Marie | Goyama | ||
Nearly F-No.21-a |