オペックホース
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1977年3月5日 |
死没 | 2005年10月31日 |
父 | リマンド |
母 | ホースジョー |
生産 | 鵡川牧場 |
生国 | 日本(北海道鵡川町) |
馬主 | ホース産業(株) |
調教師 | 佐藤勇 |
競走成績 | 41戦4勝 |
獲得賞金 | 1億6938万6600円 |
オペックホースは日本の競走馬。1980年の東京優駿(日本ダービー)が主な勝ち鞍である。東京優駿後は32連敗を記録してしまい、史上最弱のダービー馬と呼ばれることもある。
[編集] 概要
1979年の3歳時はオープン1着、阪神3歳ステークス4着など4戦2勝。菜の花賞からクラシック出走を見据え郷原洋行が鞍上となり1着。皐月賞では道悪馬場の中、ハワイアンイメージの2着。オープンを挟んで東京優駿に出走した。東京優駿では郷原洋行の豪快な追い出しの中、モンテプリンスと壮烈な叩き合いの末、クビ差激戦を制し優勝した。
しかし、ここからオペックホースの競走馬生は下落していく。菊花賞は10着に敗れ、翌年の天皇賞(春)も12着。しかし5歳時はまだそこそこ走っており高松宮杯4着、朝日チャレンジカップ2着、有馬記念4着と好走している。
6-8歳時には好走すらほとんど出来なくなり、最後はダートレースも走った。最後の3戦のうち2戦では最下位入線だった。飛越がうまく障害競走への出走も検討されたが東京優駿優勝馬が障害レースに出ることを反対され実現はしなかった。調教師である佐藤勇は後に中山大障害を勝つつもりだったと発言している。また、平地GI馬の障害レース出走は後に秋華賞馬ブゼンキャンドルで行われた。
引退後は種牡馬となった。ダービー勝利よりも32連敗のイメージが強く牝馬を集めることはできなかったが、初年度唯一の産駒であるベストンダンディが北斗盃、王冠賞を制し、2冠を達成するなど道営で活躍。オペックホースの評価を高めた。 この後も、少ない産駒から京成杯2着などオープンで活躍したマイネルヤマト(ナムラコクオーの兄)を輩出した。
2005年10月31日、門別町の谷川牧場清畠トレーニングセンターで死亡した。死因は、老衰だった。
[編集] 関連項目
- 上記にあるように障害レースに出走した平地GI馬。
- NHKマイルカップ勝利後連敗している為比較されることがある。障害レース出走も検討されている。
[編集] 血統表
オペックホースの血統 ブランドフォード系 | |||
父
*リマンド Remand 1965 栗毛 |
Alcide 1955 鹿毛 |
Alycidon | Donatello |
Aurora | |||
Chenille | King Salmon | ||
Sweet Aloe | |||
Admonish 1958 芦毛 |
Palestine | Fair Trial | |
Una | |||
Warning | Chanteur | ||
Vertencia | |||
母
ホースジョー 1965 黒鹿毛 |
*テューダーペリオッド Tudor Period 1957 栃栗毛 |
Owen Tudor | Hyperion |
Mary Tudor | |||
Comrnice | Epigram | ||
Cordon | |||
ステツプホース 1957 黒鹿毛 |
クモノハナ | *プリメロ | |
第参マンナ | |||
ステップライト | *ダイオライト | ||
*ステップシスター F-No.16 |