レイク・シャンプレイン (空母)
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艦歴 | |
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起工: | 1943年3月15日 |
進水: | 1944年11月2日 |
就役: | 1945年6月3日 |
退役: | 1966年5月2日 |
その後: | スクラップとして売却 |
除籍: | 1969年12月1日 |
性能諸元 | |
排水量: | 27,100 トン |
全長: | 888 ft (約270 m) |
艦幅: | 93 ft (28.4 m) |
全幅: | 147.5 ft (45 m) |
吃水: | 28.7 ft (8.8 m) |
機関: | ウェスティングハウス製蒸気タービン4機, 4軸推進, 150,000 shp |
最大速: | 33 ノット (61 km/h) |
乗員: | 士官、兵員3,448名 |
兵装: | 5インチ(127 mm)連装砲4基、5インチ単装砲4基 4連装40mm機銃8基、20mm機銃46基 |
艦載機: | 90 - 100 |
レイク・シャンプレイン(USS Lake Champlain, CV/CVA/CVS-39)は、アメリカ海軍の航空母艦。タイコンデロガ級航空母艦の11番艦。艦名は米英戦争におけるシャンプレイン湖の戦いに因む。その名を持つ艦としては二隻目。
[編集] 艦歴
レイク・シャンプレインは1943年3月15日、バージニア州ポーツマスのノーフォーク海軍造船所で起工する。1944年11月2日、ウォレン・オースティン夫人(バーモント州選出上院議員ウォレン・オースティンの妻)によって命名、進水し、1945年6月3日、ローガン・C・ラムジー艦長の指揮下就役する。
艤装完了後ニューヨークとフィラデルフィアを訪れ、続いてマジック・カーペット作戦に従事する。バージニア州ノーフォークを10月14日に出港しイギリスに向かい、サザンプトンに19日到着する。復員兵を乗艦させた後にニューヨークへ帰還した。
1945年11月26日には大西洋横断記録を樹立する。アフリカのスパーテル岬を経由してバージニア州ハンプトン・ローズに4日と8時間51分で到着した。この記録は1952年の夏に客船ユナイテッド・ステーツに破られるまで世界最高記録であった。
レイク・シャンプレインは1947年2月17日ノーフォークで予備役艦隊入りする。しかしながら朝鮮戦争が始まると海軍はその再就役を決定する。レイク・シャンプレインはバージニア州ニューポート・ニューズのニューポート・ニューズ造船 & 乾ドック社で復活、近代化が行われ、1952年9月19日、G・T・ムンドロフ艦長の指揮下再就役した。
11月25日から12月25日にかけてキューバ、ハイチ水域で整調訓練を行った後、レイク・シャンプレインはフロリダ州メイポートを1953年4月26日出港、紅海、インド洋、東シナ海経由で朝鮮半島水域に向かう。レイク・シャンプレインはスエズ運河を通過した最大の艦となった。その後1953年6月9日に横須賀に到着した。
レイク・シャンプレインはニューイングランド水域での作戦活動のためクォンセット・ポイントに11月9日帰還する。1964年の春にバミューダを短期間訪れ、秋にはスペインのウエルバを訪れる。11月6日にバルセロナを出港しジブラルタル経由でクォンセット・ポイントに25日帰還する。1965年の前半は東海岸で訓練と演習指揮活動に従事する。最後の任務は8月5日にジェミニ5号の回収船に指定されたことであった。任務の終了後フィラデルフィアで不活性化され、1966年5月2日に退役した。
レイク・シャンプレインは1969年12月1日に除籍され、1972年4月28日に防衛再利用マーケティングサービス(Defense Reutilization and Marketing Service, DRMS)によってスクラップとして売却された。