ロンバルディア州
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ロンバルディア州 Regione Lombardia |
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一般情報 | |
国 | ![]() |
地域 | 北西イタリア |
州都 | ミラノ |
面積 | 23,861 km² |
人口 | 9,426,354 人 |
人口密度 | 395 人/km2 |
県 | ミラノ、ベルガモ、ブレシア コモ県、レッコ県、クレモナ県、 ローディ県、マントヴァ県、パヴィア県、 ソンドリオ県、ヴァレーゼ県、モンツァ・エ・ブリアンツァ県* |
コムーネ数 | 1546 (一覧) |
州知事 | Roberto Formigoni (2005/4/4から) |
* 設立予定 | |
位置 | |
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公式Webサイト | |
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ロンバルディア州(Lombardia)はイタリア共和国北西部の州である。
州都はミラノ。ロンバルディアと呼ばれる地方を元にしており、その名前はランゴバルド族(ロンバルド族)の土地を意味する。
目次 |
[編集] 歴史
古代ローマ時代、ロンバルディアはピエモンテと共にガッリア・キサルピーナ(アルプスにより近いガリアの意)と呼ばれる属州の一つであった。568年、ゲルマン人ランゴバルト族が侵入し、ランゴバルド王国を築く。774年、カール大帝により首都のパヴィアが陥落し王国は滅亡。1162年、皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)により、ミラノも征服され破壊された。1167年に成立したロンバルディア同盟により復興する。そのころからヴィスコンティ家が台頭しはじめ、1395年にはジョヴァンニ・ガレアッツォ・ヴィスコンティがミラノ公になりミラノ公国が成立する。 1499年フランスのルイ12世の侵攻によりスフォルツァ家がミラノから追放される。 1796年にはナポレオンにより占領され、彼が建国したチザルピーナ共和国の一部となった。 1814年にナポレンが失脚すると、ウィーン会議により、ヴェネツィア共和国のイタリア領であったヴェネトなどと共に、オーストリア皇帝を王とするロンバルド=ヴェネト王国の一部とされた。 第二次イタリア統一戦争の結果、1859年7月11日にサルデーニャ王国に併合され、1861年にサルデーニャ王国はイタリア半島を統一し、ロンバルディアもイタリア王国の一部となった。
[編集] 観光
[編集] 世界遺産
- ヴァルカモーニカの岩絵群
- レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院
- クレスピ・ダッダ
- サクリ・モンティ