ワッキー
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ワッキー(本名:脇田寧人(わきたやすひと)、1972年7月5日 - )は、お笑いコンビペナルティのボケ担当。吉本興業所属。北海道出身。身長178cm(実際は175cm、「笑いの金メダル」(テレビ朝日系)で計測)、体重68kg。血液型B型。
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[編集] プロフィール
父親の転勤で、千葉県市原市→愛知県津島市→北海道釧路市→千葉県船橋市と移る。
船橋市立海神中学校卒業。サッカーでのポジションはフォワード。船橋市立船橋高等学校体育科卒業後、専修大学経済学部へ進学。大学中退後、タイに数ヶ月在住した経験もあり、タイ語を日本語と同じぐらい流暢に話せる。野菜の飾り切りができる。
「ワッキーダンス」「芝刈り機の真似」「プニョンペン」「野口五郎の真似」「毛ダム」「ヒゲグリア」「乳首がずれてるポリスマン」「オバケの救急車」など人・モノを問わない数々の持ちネタがある。
腕毛、スネ毛など体毛の濃さは日本人離れしている。
筋トレを欠かさない為に築きあげられた見事な体形をしており、ブーメランパンツ(ブリーフ)を愛好している。膝を壊したことでサッカーが出来なくなってしまい、将来を悲観し、専大サッカー部の合宿所を脱走して中退。タイ料理店などのアルバイトを転々とする。ぶらぶらしていたところを先輩のヒデに誘われてコンビ結成。因みに、ヒデが誘った数は5人で、その5人目がワッキーであった。ヒデがある番組で告白するまで、その事実をワッキーは知らなかった。
吉本ブサイクランキング2位となったが、決してブサイクな顔ではなく、むしろ男前で、しばしば男前ランキングにも顔を出す。「剛毛で気持ち悪い」キャラクターの演出が功を奏しているといえる。
ちなみにワッキーは「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)に出演した際に、市船時代はモテていたと語っている。
2007年1月の「爆笑ヒットパレード」(フジテレビ系)にて「ホップステップ野口五郎たぬき」という持ちネタの合わせ技をやり、見事初笑いを成功させた(しかし、ネタのチョイスで笑福亭鶴瓶に苦言を呈された)。
「ノブナガ」(CBC)では、愛知県・岐阜県・三重県の三県の地名が出るまで「地名」でしりとりをする「地名しりとり」で3年10ヶ月もの間、三重県の地名が出ないで迷走していた。
[編集] 「スポーツマンNo.1決定戦」での活躍
「スポーツマンNo.1決定戦」(TBS系)では、芸能人サバイバルバトルによく出場している。第13回大会に本名の脇田寧人で初出場。総合4位となった。
翌第14回大会は、モンスターボックス(跳び箱)19段の記録を作り、QUICK MUSCLETAIL(3分間腕立て伏せ)では190回の芸能人新記録を一時的に作る(後になかやまきんに君、池谷直樹に抜かれる)。そしてTAIL IMPOSSIBLE(持久走)で初の種目別No.1を獲得。きんに君と最後まで死闘を演じ、総合2位となった。
第16回大会は1種目目のREVOLUTIONでいきなり種目別No.1になるが、次の種目のSPIN OFFで腕を負傷。途中棄権となってしまう。
第17回大会はSPIN OFFでリベンジを果たし、決勝できんに君を撃破。TAIL IMPOSSIBLEでもNo.1となり、最終種目まで暫定1位だったが、TAIL IMPOSSIBLEでの激走で古傷のアキレス腱痛を再発。無念のドクターストップ棄権に涙を流し、総合4位で終わってしまった。
第18回大会では序盤は不調も、中盤辺りから追い上げ、最後に高橋光臣を破り悲願の総合No.1に輝いた。
また、元日のプロスポーツマン大会にもモンスターボックスのみだったが、出場している。
この番組での活躍により、知名度が上がったとの見方をワッキー自身がしており、品川庄司の二人も出場した際にそのように語っている。
[編集] 歌唱力
普段はお笑いタレントとしてのイメージに合わない為か封印しているようだが、抜群の歌唱力を備えている。トミーズ雅や山口智充とは違って歌を聴かせる仕事は基本的にしない為、美声が聞けるチャンスは滅多にない。
[編集] 主な出演番組
他多数