上田電鉄別所線
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別所線(べっしょせん)は、長野県上田市の上田駅から別所温泉駅までを結ぶ上田電鉄の鉄道路線である。
2005年10月3日より上田交通から鉄道部門を分社化した子会社の上田電鉄の運営となった。
別所温泉への湯治客輸送のために1921年に開業した。かつて側面に丸窓を持つ「丸窓電車」が走っていたことで知られる。1993年に元東急7200系電車を投入し冷房化を果たした。1973年に別所線廃止の方針が出されたが、地元の運動や軌道整備補助金(欠損補助)の交付が決まったことで危機を免れた。しかし2000年に上田交通の親会社の東京急行電鉄からの設備改修の提言を受け、国土交通省の地方鉄道安全新基準を満たすために上田交通が地元自治体に対し財政支援を求めており、再び存続問題が浮上している。
2005年8月に上田市が分社化後も支援継続することを発表したが、現在も油断は出来ない状態が続いている。
目次 |
[編集] 路線データ
[編集] 運行形態
1990年から1994年まで快速列車が運転されていたが、現在は全て各駅停車である。毎時概ね1~2本の列車がある。
ワンマン運転方式は地方型方式を採用。一番前の扉のみ開閉し整理券を取る方式で、バスの運賃箱に近い物が車両の乗務員室後ろに取り付けられている。因みに上田駅・下之郷駅では終日全扉が開閉し、別所温泉駅では9:00~17:00の間のみ全扉が開閉する。
高架の上田駅を発車するとすぐに千曲川を渡り、全線が上田平を走る。全線単線で、S字型の路線となっている。半径の小さい曲線が多く、何箇所かでは一気に90度ほど曲がる。車庫のある下之郷駅付近から登りがきつくなり、終点の別所温泉駅付近は40‰の急勾配となっている。
かつては上田原駅で青木線、下之郷駅で西丸子線と接続していたが、既に廃線となっている。
[編集] 利用状況
[編集] 輸送実績
別所線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量は1996年(平成8年)以降減少している。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色の枠で、最低値を青色の枠で囲んで表記している。
年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 貨物輸送量 万t/年度 |
特 記 事 項 | |||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合計 | |||
1975年(昭和50年) | 37.9 | 64.5 | 66.5 | 168.9 | 0.002 | |
1976年(昭和51年) | 32.0 | 58.9 | 77.1 | 168.0 | 0.0 | |
1977年(昭和52年) | 33.1 | 61.7 | 88.0 | 183.0 | 0.0 | |
1978年(昭和53年) | 30.4 | 58.5 | 90.2 | 179.2 | 0.0 | |
1979年(昭和54年) | 31.3 | 54.4 | 93.3 | 179.1 | 0.0 | |
1980年(昭和55年) | 31.8 | 54.3 | 96.1 | 182.3 | 0.0 | |
1981年(昭和56年) | 0.0 | |||||
1982年(昭和57年) | 0.0 | |||||
1983年(昭和58年) | 0.0 | |||||
1984年(昭和59年) | 0.0 | |||||
1985年(昭和60年) | 0.0 | |||||
1986年(昭和61年) | 23.5 | 46.0 | 85.5 | 155.0 | 0.0 | 架線電圧を1500Vに昇圧 |
1987年(昭和62年) | 24.5 | 41.8 | 84.1 | 150.4 | 0.0 | |
1988年(昭和63年) | 25.6 | 42.4 | 87.1 | 155.1 | 0.0 | |
1989年(平成元年) | 26.0 | 42.4 | 88.0 | 156.4 | 0.0 | |
1990年(平成2年) | 26.4 | 46.3 | 92.4 | 165.1 | 0.0 | |
1991年(平成3年) | 26.1 | 50.3 | 98.8 | 175.2 | 0.0 | |
1992年(平成4年) | 25.2 | 50.1 | 99.2 | 174.5 | 0.0 | |
1993年(平成5年) | 25.9 | 48.2 | 100.5 | 174.6 | 0.0 | |
1994年(平成6年) | 25.6 | 48.2 | 97.5 | 171.3 | 0.0 | |
1995年(平成7年) | 24.2 | 48.2 | 98.8 | 171.2 | 0.0 | |
1996年(平成8年) | 26.2 | 48.8 | 102.2 | 177.2 | 0.0 | |
1997年(平成9年) | 28.9 | 46.3 | 101.0 | 176.2 | 0.0 | 上田駅高架化 |
1998年(平成10年) | 27.4 | 47.4 | 93.3 | 168.1 | 0.0 | |
1999年(平成11年) | 24.8 | 45.4 | 81.7 | 151.9 | 0.0 | |
2000年(平成12年) | 20.6 | 44.1 | 74.2 | 138.9 | 0.0 | |
2001年(平成13年) | 19.5 | 42.8 | 71.7 | 134.0 | 0.0 | |
2002年(平成14年) | 20.0 | 40.7 | 68.3 | 129.0 | 0.0 | |
2003年(平成15年) | 19.4 | 37.9 | 69.9 | 127.2 | 0.0 | |
2004年(平成16年) | 21.8 | 36.4 | 65.8 | 124.0 | 0.0 | |
2005年(平成17年) | 0.0 | 上田交通から上田電鉄に移管 | ||||
2006年(平成18年) | 0.0 |
[編集] 収入実績
別所線の近年の収入実績を下表に記す。旅客運賃収入は1997年(平成9年)以降減少している。運輸雑収については年度による変動が大きい。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色の枠で、最低値を青色の枠で囲んで表記している。
年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 貨物運輸 収入 千円/年度 |
運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 |
||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 手小荷物 | 合 計 | ||||
1975年(昭和50年) | 57,810 | ←←←← | 72,486 | 1,395 | 131,691 | 3 | 1,160 | 132,854 |
1976年(昭和51年) | ←←←← | 0 | ||||||
1977年(昭和52年) | ←←←← | 0 | ||||||
1978年(昭和53年) | ←←←← | 0 | ||||||
1979年(昭和54年) | ←←←← | 0 | ||||||
1980年(昭和55年) | ←←←← | 0 | ||||||
1981年(昭和56年) | ←←←← | 0 | ||||||
1982年(昭和57年) | ←←←← | 0 | ||||||
1983年(昭和58年) | ←←←← | 0 | ||||||
1984年(昭和59年) | ←←←← | 0 | ||||||
1985年(昭和60年) | ←←←← | 0 | ||||||
1986年(昭和61年) | 91,816 | ←←←← | 201,637 | 0 | 293,453 | 0 | 24,226 | 317,679 |
1987年(昭和62年) | 36,593 | 53,281 | 198,494 | 0 | 288,368 | 0 | 4,307 | 292,675 |
1988年(昭和63年) | 38,298 | 55,561 | 205,319 | 0 | 299,178 | 0 | 3,776 | 302,954 |
1989年(平成元年) | 40,826 | 56,372 | 218,685 | 0 | 315,883 | 0 | 3,444 | 319,327 |
1990年(平成2年) | 44,066 | 65,874 | 236,710 | 0 | 346,650 | 0 | 2,481 | 349,131 |
1991年(平成3年) | 42,295 | 67,576 | 250,334 | 0 | 360,205 | 0 | 2,825 | 363,030 |
1992年(平成4年) | 40,135 | 67,874 | 245,917 | 0 | 353,926 | 0 | 3,154 | 357,080 |
1993年(平成5年) | 40,225 | 64,888 | 246,171 | 0 | 351,284 | 0 | 3,457 | 354,741 |
1994年(平成6年) | 41,938 | 67,770 | 248,319 | 0 | 358,027 | 0 | 3,191 | 361,218 |
1995年(平成7年) | 39,623 | 69,540 | 251,356 | 0 | 360,519 | 0 | 4,478 | 364,997 |
1996年(平成8年) | 41,085 | 69,655 | 256,542 | 0 | 367,282 | 0 | 6,719 | 374,001 |
1997年(平成9年) | 44,285 | 65,249 | 276,532 | 0 | 386,066 | 0 | 6,157 | 392,223 |
1998年(平成10年) | 41,315 | 66,950 | 252,805 | 0 | 361,070 | 0 | 4,462 | 365,532 |
1999年(平成11年) | 37,372 | 64,089 | 222,012 | 0 | 323,473 | 0 | 8,782 | 332,255 |
2000年(平成12年) | 30,792 | 62,944 | 203,808 | 0 | 297,544 | 0 | 8,210 | 305,754 |
2001年(平成13年) | 29,144 | 60,885 | 199,168 | 0 | 289,197 | 0 | 5,610 | 294,807 |
2002年(平成14年) | 29,367 | 56,711 | 191,850 | 0 | 277,928 | 0 | 5,138 | 283,066 |
2003年(平成15年) | 27,843 | 53,124 | 197,611 | 0 | 278,578 | 0 | 2,379 | 280,957 |
2004年(平成16年) | 31,322 | 50,969 | 182,492 | 0 | 264,785 | 0 | 7,630 | 272,415 |
2005年(平成17年) | 0 | |||||||
2006年(平成18年) | 0 |
[編集] 車輛
1986年10月1日までは、架線電圧が750Vで自社発注の丸窓電車や全国各地の譲渡車など骨董品の博物館だった。 しかし電動車の制御方式の不統一や部品調達が困難で、いつ故障してもおかしくない状態だった事から、1500V化の際に東急5000系(初代)を2連5本譲り受け旧型車を全廃した。 しかし、非冷房であった事から余り長持ちせず、1993年5月28日から東急7200系を2連5本譲り受けた。これにより長野県の私鉄で初めて100%冷房化を達成した。また、2005年からかつて走っていた丸窓電車を模して一部の窓をシールで丸くした「まるまどりーむ」号が運行されている。
[編集] 750V時代
特記無きものは1986年の昇圧時に廃車。
[編集] 電車
- モハ5250形 - 5251~5253
- モハ5260形・クハ260形 (2代) - 5261・261
- モハ5270形 (2代) - 5271
- モハ5370形 - 5371・5372
- デハ3300形・クハ3660形・クハ3770形 - 3310・3661・3772 ※3661は1983年廃車
- クハ250形 - 252・253 ※253は1975年廃車
- クハ270形 - 271 (2代)・272・273 ※272は1975年、273は1984年廃車
- クハ290形 - 291・292
- サハ20形 - 24~26・28 ※24は1980年、25は1955年、26は1956年、28は1972年に廃車
- サハ40形 - 41・42
- サハ60形 - 61・62 ※61は1980年廃車
- モハ4250形 - 4257 ※1983年廃車
- 真田傍陽線の車輛を参照のこと。
[編集] 電気機関車
下記項目を参照のこと。
- EB4110形 - EB4111
- ED25形 - ED251
[編集] 1500V昇圧後
- 5000系 - 5001~5004、5051~5054
- 5200系 - 5201、5251
- 昇圧から、1993年に7200系に代替されるまで使用された。
- 7200系 - 7251~7255、7551~7555
[編集] 歴史
- 1921年(大正10年)6月17日 上田温泉電軌が青木線三好町(現在の城下)~青木間、川西線上田原~信濃別所(現在の別所温泉)間を開業。
- 1924年(大正13年)8月15日 千曲川鉄橋が開通し、青木線の上田~三好町間が開業し全通。国鉄上田駅に乗り入れる。
- 1927年(昭和2年)12月 青木線の三好町~上田原間が専用軌道化、変則複線化され三好町駅が城下駅に、三好町二丁目駅が三好町駅に改称。
- 1929年(昭和4年)3月3日 五加駅を中塩田駅に改称。
- 1930年(昭和5年)1月19日 信濃別所駅を別所温泉駅に改称。
- 1932年(昭和7年)9月21日 三好町~上田原間に赤坂上駅設置。
- 1934年(昭和9年)7月14日 中塩田~中野間に上本郷駅設置。
- 1938年(昭和13年)7月25日 青木線の上田原~青木間が廃止され、上田~上田原間も川西線となる。
- 1939年(昭和14年)3月19日 川西線を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。別所線に改称。
- 1939年(昭和14年)9月1日 上田電鉄に社名変更。
- 1943年(昭和18年)10月21日 丸子鉄道と合併し、上田丸子電鉄となる。
- 1951年(昭和26年)4月 赤坂上駅の位置が変更される。
- 1953年(昭和28年)9月 架線電圧を600Vから750Vに昇圧。
- 1960年(昭和35年) 上本郷駅を塩田町駅に改称。
- 1966年(昭和41年)4月1日 本州大学が開学。下本郷駅がその最寄駅となったため本州大学前駅と改称。
- 1969年(昭和44年)5月31日 上田交通に社名変更。
- 1974年(昭和49年)5月1日 本州大学前駅、大学名が長野大学に変更されたため大学前駅と改称。
- 1984年(昭和59年)11月1日 貨物営業廃止。
- 1986年(昭和61年)10月1日 架線電圧を1500Vに昇圧。「丸窓電車」が引退。
- 1998年(平成10年)3月29日 上田駅が高架化される。
- 2005年(平成17年)10月3日 上田交通から上田電鉄に移管。
[編集] 駅一覧
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
上田駅 | 0.0 | 東日本旅客鉄道:北陸新幹線(長野新幹線) しなの鉄道:しなの鉄道線 |
長野県 | 上田市 |
城下駅 | 0.8 | |||
三好町駅 | 1.5 | |||
赤坂上駅 | 2.2 | |||
上田原駅 | 2.9 | |||
寺下駅 | 3.8 | |||
神畑駅 | 4.5 | |||
大学前駅 | 5.2 | |||
下之郷駅 | 6.1 | |||
中塩田駅 | 7.4 | |||
塩田町駅 | 8.0 | |||
中野駅 | 8.5 | |||
舞田駅 | 9.4 | |||
八木沢駅 | 10.1 | |||
別所温泉駅 | 11.6 |